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日本人形をパンフレットなどで拘束し、缶チューハイの中身を浴びせる。テーブルと布団を退かせて畳の上に置き、それを酒の滝で囲んだ。緩やかに五芒星を描いて、久保田と斎藤がタバコを抜いた。火をつけて口から離し、5つの角に立たせる。 辺の前に4人が立ち、堀内の合図で詠唱が始まった。 「否虚之実禅巫為…否虚之実禅巫為…」 言葉の意味は分からない。それでも藁にもすがる思いで4人は呪文を唱え続けた。両手を合わせてただ言葉を放っていく。異変は少しして訪れた。 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり 肌を掻く音。全員の耳に届いていた。それでも気にしてはいけない。ぎゅっと目を瞑って、心の中でそう呟きながら呪文を唱える。 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり 「否虚之実禅巫為…否虚之実禅巫為…否虚之実禅巫為…」 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり どれくらいの時間が経っただろうか。岸は閉じた瞼から涙を零していた。耳元で爪で肌を掻き毟る音が響く。 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり 「ねぇ、やっぱりおかしいよ。」 詠唱を止めて岸が呟く。それでも他の3人は唱えることをやめなかった。 「いるよ、窓…。」 右目だけをうっすらと開けて、久保田は岸の言う方角を見た。墨を塗ったように黒い窓に5人が立ち尽くしている。 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり 五芒星の真ん中に着物の少女が立ち尽くしている。天井を見上げ、包丁を持つ右腕の肘を掻き毟っている。しかし久保田の目の前には誰もいない。それでも窓にはしっかりと映っているのだ。 「おかしいよ、こんなに都合よく人形が現れるとか、都合良すぎるよ…。」 その時だった。 窓に映っていたはずの5人を塗り潰すように、無数の白い掌が激しい音を立てて窓を叩いた。開けて欲しい、そんな思いがひしひしと伝わる。悲鳴をあげて4人は五芒星の前から飛び退いた。 「おい、これもうやめた方がいいんじゃないか。」 斎藤の言葉尻を待たずに、窓に映っていたはずの白い手が移動したのか、天井を突き破った。ざっと40人ほどの手だろうか。真下にある何かを手探りで掴もうとするような、辿々しい手つき。 「もうダメだ。逃げよう、ここから出よう。」 堀内の視線が五芒星の真ん中に落ちる。そこにパンフレットに梱包された日本人形の姿はなかったのだ。包んでいたはずのパンフレットが形を崩してそこに寝ている。 体を起こして玄関に走った。追いかけてくるわけではないものの、それでも天井から伸びる無数の白い手から逃れないといけない。その使命感でいっぱいだった。 何故かは分からなかった。それでも4人は吸い込まれるように、廊下の向かいにある食堂へ逃げ込んだ。 窓を覆うカーテンが月明かりの侵入さえも許さない。慌てて久保田は携帯を抜いてライトを点けた。小さな白い光が畳を照らす。なるべく食堂の奥へ足を進めて隅に座り込んだ。 「この除霊は逆に霊をおびき寄せる方法だったのかも。」 堀内は声を殺してそう言った。4人の前を照らしながら画面に指を滑らせている。 「どういうこと?」 「これ、見て。」 真っ白な画面が4人の顔を照らす。除霊の方法を書き記していたリプライが表示されていた。 「アカウント名、何て読むんだ?」 『之虚何』、アイコンは黒に染まっている。 「そこじゃない。冷静に考えたんだけど、俺さ、日本人形があるなんて一言も言ってないんだ。」 そう言った瞬間、画面の表示が変わった。 『このアカウントは存在しません』 背筋に冷たい汗が伝う。久保田は頸から震えた。もうどこにも逃げ場などない。 カーテンの裏から葉の騒めく音が鳴った。風に揺れる木々、それも果たして存在しているものなのだろうか。もしかしたら自分たちがいるこの旅館さえも存在しないのかもしれない。 堀内が携帯を掲げた時、小さな明かりが食堂の奥をぼんやりと照らした。 「え、紗織…?」 岸の一言にふと視線を上げる。対角上、最も遠い隅に桃色のセーターを着た松田が俯いていた。どこからか吹いた風に白いスカートの裾が揺れる。再び声をかけようとした岸の肩を斎藤が掴んで言った。 「待って、様子がおかしい。」 小さなライトが遠い松田の全身を照らす。松田の細い指が1本ずつ上がり始め、やがて手の甲に爪が密着した。乾いた枝が折れるような音が鳴り、指がおかしな方向を向いていた。 その刹那、ライトが消える。時間経過で光を失った携帯のライトを操作して再び灯す。更に照った食堂の隅。松田は腕すらも歪な形に曲げていた。 「お、おい。これどうなってるんだ。」 意識を失ったかのように頭が垂れる。やがて上半身が横へ、横へとずれてこちらに背が見えた。 再びライトが消える。時間経過がおかしくなったのか、堀内は焦った様子で携帯を操作していた。 「なんでだよ、なんだよこれ…。」 再びライトが点灯する。食堂の奥をもう一度照らして、虚ろな表情をした松田の顔が目の前にあった。 四つん這いになって髪が畳に垂れ、白目を剥いている。突然目の前に現れた松田は確かに何かに取り憑かれている。4人は悲鳴をあげる暇もなくその場から這うように逃げ出した。
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