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緒方清美の声はほんのり温かい印象を受けた。どこかゆったりとしていて、妙に落ち着いてしまう。きっと彼女は優しい性格なのだろうと、声だけで判断できた。 「両親の畑仕事を手伝って、12歳になった時でした。村の人たちが私の顔を指差して言ったのです。この子の顔は人形のようで不気味だと。近所に住んでいた梵の何気ない一言が私の人生を狂わせたのです。」 彼女曰く、村中の人々が緒方清美を差別的な目で見るようになったのは突然のことだったと言う。梵佐知子は金草村の村長の妻として、村では偉大な権力を持っていたという。彼女が右を向けといえば全員が右を向く、そんな村だったらしい。 「この子の顔は気味が悪い、そう言って私はある日突然村の全ての人たちから差別されるようになりました。小石を投げられて、田んぼに落とされて、地獄の日々が半年も続いたのです。それでも私の両親だけは唯一の味方でした。」 冷えた地下空間で、4人は話の続きを安易に想像した。それは最悪の結末であった。 「なんとか今は耐えよう、何をされても我慢しよう、お金が貯まったら東京に行こう。両親は日々私を勇気付けてくれました。大丈夫だよ、愛しているから。それが崩れたのは数ヶ月後のことでした。ある日突然自宅に警察の方がやってきて、私を私宅監置させると言ってきたのです。」 「両親に裏切られた、ってこと?」 堀内の問いかけに、緒方清美は尖った顎を胸元に沈めた。 「私を牢に閉じ込めることを行政に申請してくれれば、裕福な暮らしをさせてやる、そう言われたそうです。金に目が眩んだ両親はそれを受諾し、先代の父が漬物を漬けるために使用していたこの地下に牢を建てて、私を閉じ込めたのです。」 つまりこの地下空間は緒方一家の私宅だった場所、ということだ。しかし疑問があった。久保田は深く呼吸をして言う。 「何故梵は、そんなにあなたを除け者にしようとしたんでしょうか。」 「不気味、その一点です。毎日のように牢の前を訪れては、あなたの表情は気味が悪い。その顔の皮を剥がしてやりたい、そう言われ続けました。」 梵の表情を思い出す。もしかすると梵は緒方清美の端正な顔立ちに嫉妬していたのかもしれない。そうでもなければただ顔が気に食わないという理由で人を閉じ込めるというのは理解に苦しむ。 「両親は助けてくれませんでした。父は酒の瓶を持ちながら牢の前に来て、食事も満足に摂れず痩せ細っていく私を見て笑うのです。お前は不幸だな、そう言って笑う父の姿が今も焼き付いています。今も憎い。」 緒方清美が言葉に憎しみを込めると、檻の端で倒れていた木の人形に突然ヒビが入った。鑿で木を削るような音。おそらくその人形は緒方源三なのだろう。緒方清美は落ち着いた声を取り戻して続けた。 「14歳になって、私は極限状態に陥りました。冷えた中で闇が続く1年間。ある日梵が来て言ったのです。あなたはこの村の癌だから、自ら命を絶ってくれないかと。」 目も当てられないほど残酷な話だった。かける言葉も見つからずに黙ったまま、霊の話を聞いている。コンクリートの冷えた風が少しだけ吹いた。 「包丁を渡されたのです。これで首を切って死んでくれ。私は我慢の限界でした。誰も来ない夜中に檻の端を包丁で切り、穴を開けました。」 牢の端、木の柱が一部欠けていた。 「深夜に抜け出し、気付けば両親を手にかけていました。今までの憎悪を全て指に込めて降り下ろしました。惨たらしいとは思いませんでした。それから数時間もかけて、私を差別した村人全員を殺害しました。どうせ死ぬのなら全員を地獄に送ってからにしようと思ったのです。疲労困憊の中牢に戻り、満足げに首を切りました。」 人は想像を知識や経験で補うものだと、久保田は感じていた。だからこそ緒方清美が話す凄惨な事件を脳内に浮かべることは難儀であった。 「包丁の切っ先が水の塊のような肉を進み、枝のような骨を絶って肌の向こうに辿り着くと、私の中にある溜め込んだものが一粒、泡のように消えていくのです。それは大変幸せでした。人を殺し、自分が生きていると知りながらも、まるでここが天国かのように思えたのです。しかし、地獄はそれからでした。」 ふと手を伸ばす。虎百合が彩られた黒い着物の裾、細い腕がラップに牛乳を張ったように白い。小さな木の人形を1つ手に取って緒方清美は言う。 「霊は宿る物があれば現実世界に直接干渉することができます。私が1年間恨みつらみを込めて彫った木の人形、村人たちはこちらに宿ったのです。やがて怨念がその姿を変えて、人と何ら変わらない風貌へと豹変したのです。私は目を覚ますと足の先が無いままこの牢の中にいました。」 「自分の人形は彫っていないから、宿ることはできなかった、ということか。」 「ええ。怨念は波動のようなものと酷似しておりまして、霊の姿では自分が亡くなった箇所のみに干渉が可能なのですが、宿る物さえあればその怨念をどこへだって運ぶことが可能となります。つまり私は憎い村人たちに死後の自由を与えてしまった、ということなのです。」 憎い相手を木に掘り、やがてその憎しみを当の本人にぶつける。しかしその先に待つのは新たな不幸だった。緒方清美はどこか諦めたような声色で続けた。 「梵は言いました。お前をまたここに閉じ込める。今度は老いも飢えも感じられないから永遠の闇が続く。この先永遠にお前を悪霊にしてやろう、と。霊になっても梵は権力を振りかざしていたのです。」 死んでもプライドが消えない、何かに縛られたまま生きるのも考え物だった。 やがて梵は緒方清美への強い怨念を形にし、金草村を再現したという。そこへ人を誘い込み、人形だらけの村に対して興味を持たせる。人と見間違えるような蝋人形を何十体も見せた上で、緒方清美に似た日本人形を見せる。久保田はあの村役場での会話を思い出していた。堀内が言った親玉という表現。それは梵たちの思う壺だったのだ。決してあの日本人形以外がリアルだったわけじゃない。全ての人形がリアルだったのだ。 「梵たちの思惑はまんまと人々を苦しめていきました。旅館の名はお前が決めてもいいよ、と面白おかしく言われ、梵たちに見つからないように願いを込めたのです。母が生前好きだった花、虎百合。」 4人は声を出すことなく涙を流していた。苦しみから解放されても、再び苦しみが宿る。緒方清美は約80年にも及ぶ、終わらない恐怖に囚われた幽霊なのだ。 携帯のライトを消して、画面を撫でていた堀内が言った。 「金草村がなくなって、その跡地に旅館が建てられた。その旅館は心霊現象が多発して評判は最悪、やがて廃業した。日本の心霊現象を集めたサイトにあったよ。少女の霊が数多の霊を操っていると。これは梵たちが仕向けた作戦っていうことなのか。」 堀内が持つ携帯の画面を覗く。金草の里と書かれている旅館の外観はこゆりの里と全く同じだった。白い外壁に黒い枠が刻まれている。緒方清美は濡れた声で言った。 「辛かった。私が元凶に仕立て上げられて、関係のない人々が苦しむ。とても悲しかった。それでも私は梵たちの怨念のせいでここから出ることはできなかった。でも、あなた達がやってきた時に希望の光が見えたのです。意識だけをあの日本人形の中に入れられた私は直接聞きました。今ここにはいないもう1人の女性が、私の着ていた着物を、すごい綺麗だと褒めてくれたのです。それが何よりも嬉しかった。それを快く思わなかった梵があなたを転ばせて日本人形を倒したと思わせた時だって、あなたはわざわざ直してくださった。その何気ない心遣いが本当に嬉しかったのです。だからまず最初にあの女性を救い出そうと努力したのですが、それすらも梵たちに邪魔をされてしまいました。」 「じゃあ、あの時廊下にいた霊はあなたじゃなかったんですか。」 「部屋に怨念を飛ばして、そこからあの女性を救い出そうと試みたのですが、梵に阻止されてしまったのです。緒方源三が怨念で私の姿を捏造し、あなた達を襲った。大変申し訳ないことをしました。」 霊が謝罪する、一見理解できない環境だった。それでも4人は揺らぎそうになっていた決意にセメントを流し込むかのように、固めた。 「大丈夫です。俺たちが助け出します。あなたをここから出せば松田も、あなたも、梵たちの呪いから解放される。そういうことでしょう?」 潤んでいた緒方清美の瞳が潤み、花が咲くように輝いた。霊も苦しんで、悲しんで、笑うのだ。
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