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腹部、大腿部、側頭部の傷は消えていた。血だけが滴って痛みは消えている。4人は音の消えた地下空間から抜け出そうと階段を上がった。扉に貼られていた札は何故か全て剥がれ落ちており、踏み締めることに抵抗はあったものの、久保田は立て掛けていた木材を外してから扉を開けた。 既に辺りは朝を迎えていた。微かに陽の光が差し込み、異常な空間から帰ってきたのだと感じて、地下室から這い出る。目の前にはゲームセンターなど無く、薄暗い土間があった。グレーの土に腐ったような黒い木材からつんと湿気が香る。その向こうには背の高い草木が生い茂っていた。 恐る恐る外に出る。堀内は辺りを見渡して言った。 「廃村だね。」 そこは確かに金草村で、久保田たちが初日に立ち寄った人形だらけの村であった。奥の方で剥き出しになった鉄骨が誰かに抉り取られたかのように佇んでいる。あれはきっと金草の里なのだろう。すると隣にいた斎藤が大きな声をあげた。 「松田、松田。」 彼の視線の先、斎藤の運転する白いオデッセイが草木の真ん中に置かれている。その後部座席に松田が座っていた。草を掻き分けて車に向かい、斎藤が鍵を開ける。スライド式の扉を開けると、どこか車内は冷えていた。シートに背を預けて彼女は眠っている。 「松田、大丈夫か。」 斎藤が肩を掴んで声をかけると、松田はゆっくりと目を開けた。久保田たちの顔を見るなり表情を綻ばせる。 「終わったんだよね、全部。」 「ああ。怪我ないか、手とか変な方向に曲がってただろ。」 落とした宝物に傷が付いていないか確認するかのように、斎藤は松田の腕を持っては怪我した箇所を探っていた。しかし松田は何かから吹っ切れたように落ち着いて言う。 「大丈夫だよ。皆がおかしくなった私から逃げている時に、緒方清美から全てを聞かされたの。今のあなたは梵の怨念に行動を操られている。でも落ち着いて、大丈夫だからって。最後皆が地下室にいた時、彼女は怨念を飛ばして部屋に拘束されたままの私を助けてくれたの。これが私の精一杯だけど、もう無事だから大丈夫って。」 緒方清美のことを思っているのか、松田は次第に声を濡らしていた。しかしふっと笑って続けた。 「最後に緒方清美から頼まれたの。」 「何を頼まれたんだ?」 「きっと元に戻ったら、村役場の3階に私を模した日本人形がある。それを地下牢の中に入れて火を放ってほしい。私が憎しみを込めて作ってしまった木の人形が結果的に災厄を生み出してしまったから、それを焼いて終わりにしてほしい、そう言ってた。」 皆渋ることなく、一度だけ頷いた。 草木を踏んで村役場に向かう。3階建の白い箱は夥しい量の蔦に覆われていた。まるでロールプレイングゲームのような道のりを超えて辿り着くと、扉の上にある小さなコンクリートの屋根に金草村役場という文字が並んでいた。初日に見た時にその文字はなかった。改めて現実に戻ってきたのだと感じて5人は軽いため息をつく。 ガラスの扉をくぐって中に入ると、そこは強盗に入られたかのように荒らされていた。ガラスの破片が辺りに散らばっている。廃墟のように薄暗い1階を歩いて大階段へ向かう。靴の裏で細い何かが砕ける音がした。 慣れた様子で3階に上がる。細長い廊下は泥が辺りに飛び散っており、壁には血のようなシミがある。奥の和室は扉が開け放たれていて、再び吸い込まれるように5人は和室に入った。 「うわ、ひどいな…。」 畳が敷き詰められた和室は黒いシミに覆われていた。おそらく数多の血液が固まってしまっているのだろう。あまりにも凄惨な光景だったが、5人はその上を踏んで部屋の奥に向かった。低い棚の真ん中で日本人形が佇んでいる。もう誰も悲鳴をあげることはなかった。 虎百合が彩られた黒い着物を身に纏う、小さな緒方清美。久保田は大事そうにそれを抱えた。 来た道を戻ってオデッセイの横を通り抜ける。緒方家は2階建の質素な造りだった。茶色の一軒家の土間に戻り、壁のように聳える黒い扉を開けて細長い階段を下っていく。もう恐怖など微塵もなかった。それが不思議だった。 木の板を踏みしめて冷えた地下室に入る。缶に木材の隙間を縫うように進んで檻の前に立った。開かれた扉の縁を持って、抱えていた日本人形をゆっくりと滑り込ませる。それはまるで薪を焚べるように、怯えた少女に手を差し伸べるように、虎百合が描かれた黒い着物に添える。 「親玉なんて言って、すみませんでした。」 堀内は手の甲で汗を拭い、深々と頭を下げた。両手がぴったりと張り付いている。後の4人も続いて両手を合わせた。 「着物も、あなたも、すごく綺麗でした。助けてくれてありがとうございました。」 手を合わせて松田は言った。 「怖がって、ごめんなさい。あなたのことを知れてよかったです。安らかに眠ってください。」 岸の柔らかな言葉に斎藤が続いた。 「あなたの悲しみ、苦しみは忘れません。天国で幸せに暮らしてください。」 腹部に滲んだ血を摩ってから、斎藤が言った。何も浮かばないかもしれないと思っていた久保田だったが、両手を合わせるとすぐに言葉が出てきてくれた。 「もうこれ以上、あなたを苦しめるものはありません。緒方清美さん。おやすみなさい。」 そう言って、久保田と斎藤はライターを抜いた。2人は顔を合わせてから頷いて火を擦り出す。小さな橙色の光が地下室で2つ揺れる。後の3人が木の人形を掻き集めて日本人形の近くに並べた。 「火、点けよう。」 久保田の言葉に、全員が頷く。捨てられたように檻の中で浮かぶ黒い着物の端に、2人はゆっくりと火を灯した。 ぼうっと音が鳴き、着物全体に伝染していく。静かな海に小石を投げ込んだように火の波が走った。数歩後ろに退がって火の行く末を見守る。やがて日本人形に燃え移り、木の人形が焦げていく。布が焼かれる音の中で5人は確かにあの声を聞いた。 「皆、ありがとう。」 どこから聞こえたわけでもない。緒方清美の感謝の言葉は、確かに5人の頭の中で聞こえた。その声は悲壮ではなく謝意を含んでいて、目の前で盛る火よりも暖かかった。
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