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村を抜けてからは驚くほど人とすれ違った。どこにも蝋人形はいない。全員が歩いて息を吸っている。その当たり前が大きい落差だった。
大通りに出てコンビニに入る。初日の夜は朝まで酒を飲みながら高校時代の話などで盛り上がろうと決めていたのである。
缶チューハイやタバコなどを大量に買い込み、5人は車に戻った。春の陽気などという言葉が果たして存在するのか疑わしいほど太陽光が大きなライターとなって地球を炙っている。荷物をまとめて席に着き、斎藤がエンジンをかけた。旅館まではあと少し。それを再確認しようとナビゲーションの画面に目をやった。
「おい、剛。とっくにすれ違ってるじゃん。」
自分たちを誘導する赤い線が歪な方向に曲がって映し出されていた。来た道を戻れということだろう。
「しっかりしてよー。」
「すみませんね。何でだろう、疲れてるのかな。」
斎藤は高校時代に野球部のキャプテンを務めていた。人よりもタフな彼のことだ、些細なミスだろう。距離こそ2キロメートルもないために大して気にすることはなく、5人を乗せたオデッセイは大通りに戻った。
山の天気は変わりやすいと、過去に聞いたことがあった。そのせいか山道に入った途端車窓に水滴が付着していた。フロントガラスの向こうには薄いグレーのカーテンを思わせる霧がかかっている。減速しながらゆっくりと進むオデッセイは数分間の霧にまみれながらようやく旅館に辿り着いた。
白を基調とした建物は黒い縁のようなものが表面に刻まれ、窓枠が網のようになっていた。駐車場の入り口、焦げたような色の看板には『こゆりの里』と表記されている。水溜りのように広がった駐車場には数台の車が停まっている。中に滑り込んで車の尻がゆっくりと縁石に密着し、5人は荷物をまとめて外に出た。先ほどまではじりじりと焦がすような太陽が輝いていたものの、背の高い木々で隠れてしまっている。どこかひんやりとした。
「やっぱり寒いねー。長袖持ってきて正解。」
松田の言葉に頷いて旅館の自動ドアに向かう。薄いガラスの板が開くと、どこか懐かしい香りがした。芳しい木の匂い。訪れたことのない旅館が実家のように思えて5人はロビーを見渡した。
暖色の明かりが中を照らし、ゆったりとした時間が流れている。微かなグレーのカーペットは1歩踏み出すだけで沈んでしまいそうだった。
「ご予約の方でしょうか?」
限界まで濃度を薄めたピーチジュースを思わせる色合いの着物に漆のような黒い帯を巻いた年配の女性がこちらに駆け寄ってきた。おまけのように小さな目がこちらを見ていた。だいぶ化粧が厚いものの、その下で柔らかな笑顔が浮かんでいる。落ち着いた声色に久保田が答えた。
「5人で予約した久保田です。」
「久保田様、お待ちしておりました。それではお荷物お預かり致します。」
ぱぁっと表情が輝き、様々な色合いの着物を着た女性従業員がどこからともなく集まった。各々荷物を手渡して受付に向かう。必要事項を書き記す岸を背に堀内はカメラを構えていた。ぼそっと言う。
「すごい綺麗だね、ここ。」
「だな。雰囲気もいいし、のんびりできる。」
この場の空気に馴染むように久保田は答えた。自然と声が優しくなる。虎穴に入らずんば虎子を得ずという諺に近いのかもしれない。
チェックインを済ませると、先ほどの年配の女性が5人の前に立った。深々と頭を下げながら言う。
「この度はこゆりの里をご予約して頂きまして、ありがとうございます。女将の梵と申します。それではお部屋の方にご案内致します。」
随分と丁重な言葉に、恐る恐る頭を下げる。やがて彼女の後を追いながら久保田御一行は黒い鉄の箱に乗り込んだ。
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