その二十四 薬売りの熊手

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 それはさておき、青葉が熊手を買いそびれたことを、なぜこの薬売りは知っているのか。  胡散臭げに薬売りを見やると、彼はずいっと熊手を掲げてみせた。 「どうです? うちの商品ですから、効果は抜群ですよ。見たところ、旦那のお仕事は繁盛してなさそうだ。こいつがあれば、そこらの文豪も目じゃないほど仕事がバンバン入ってきますよ」 「大きなお世話だよ。それに、そんな上手い話信じられるもんか。裏に何かあるに決まっているだろう。変なものに憑かれたり、勝手に寿命を削られたりしちゃあ、かなわないからね」  さっさと出て行け、と青葉は顰め面で、犬を追い払うように手を振る。  薬売りは「あらら、残念」とちっとも残念そうじゃない表情で言いながら、熊手を引き出しに押し込んだ。 「そう言えば、熊手は古来では、武器としても使われていましたよねぇ」  ぎゅうぎゅうと詰め込みながらも、薬売りのおしゃべりは止まらない。 「長い柄の先に鉄製の爪をつけたものです。熊の手を模した鋭い爪を使って、敵を引っ掛けて倒したり、馬上から引きずり下ろしたり。海戦では、敵の船を引きつけたり船頭を落としたりするための道具としても使われましたねぇ。そういや、平家物語では、入水しようとした建礼門院が、熊手に長い髪を引っ掛けられて引き揚げられて、入水を邪魔されてしまったとか」  なんとか熊手を引き出しに収めた薬売りの切れ長の目が、ちらりと青葉を見上げる。 「旦那の熊手に、かかった子もいるんじゃあないですか? ほら、ここのお手伝いの子とか」 「……」 「旦那のお友達のように、元々見えていて、慣れてる方ならまあいいでしょうがね。見えていないあの子を、旦那の側に引きずり込んでいいんですか? 今は見えなくても、いずれ怖い思いをするんじゃあ――」  青葉は袂に入れていた包みの中の切り山椒を一つ、薬売りの開いた口の中に放り込んだ。大口を開いて喋っていたため、見事に綺麗に入った。 「っ!? げほっ、なっ……」  薬売りは目を白黒させたものの、すぐに口の中のものが、甘くてぴりりと辛い切り山椒と気づいたようだ。もごもごと噛んで味わい、「なかなかのお味で」と感想まで言う余裕ぶりだ。 「……何だ、君、本当に人間だったのかい」  奇妙なものなら、この切り山椒の邪気を祓う力が効いたかもしれないのに。青葉が本気で残念がると、薬売りは唇を尖らせた。 「人間ですよぉ、旦那と同じです。失礼なお人だな」 「失礼なのはそっちだろう。うちのスミちゃんをあんまり舐めないでくれるかな。スミちゃんがここにいたら、君に盛大に塩をぶちまけていたところだよ」 「ほお、ずいぶんと信用なさって……」 「ほら、買う気は無いんだから、さっさと帰った帰った!」  青葉が押しやろうとする前に、薬売りはするりと立ち上がり、あっという間に箱を背に抱えて玄関の戸に手を掛けた。 「じゃあ塩をまかれる前に退散しましょうか。昨今は塩代も馬鹿になりませんからねぇ。『スミちゃん』を家計で悩ませるのも気の毒だ。旦那、やっぱり熊手置いていきましょうか?」 「だから余計なお世話だよ!」  声を上げる青葉に、薬売りはからからと笑う。 「これは失礼を。お詫びを置いておくんで、次回こそはどうぞご贔屓に」  そう言い残して、彼は去っていった。  青葉はどっと疲れて、肩を落とす。 「ああもうまったく、厄介なやつだ……」  ふと視線をやった先、靴箱の上に何か小さいものが置かれているのに気づく。  それは掌よりも小さな熊手で、見るからに下手な作りのおかめの面がちょこんとついていた。子供用のままごとの玩具である。  お詫びを置いていくんで、と言っていたが、これの事か。  まさか以前の紙風船のように変なものじゃなかろうか、と青葉は警戒するものの、特に嫌な気配もない。  ……薬売りの言葉を信じるわけではないが、熊手の御利益が少しでも聞いて、作家仕事が繁盛すれば……。  つらつらと考えていると、玄関に影が差した。小柄な影は、よく見慣れたものだ。 「――あら、先生、そこにいらっしゃるんですか? すみません、手がふさがっているので、玄関開けてもらえませんか?」  大きな荷物を抱えているらしいスミちゃんの声に、青葉はほっと息を零した。 「わかった、すぐ開けるよ」  開運招福の熊手で新しく福や運を呼び込むよりも、スミちゃんや鬼頭に出会えた運や、今ここにある幸福を大事にする方が、青葉にとって重要だ。もちろん、そのためにも商売繁盛は必須である。  やはり正月明けに、ちゃんと熊手を買いに行こう。そう決めながら、青葉は玄関の雪駄に足を突っ込んだ。 「おかえり、スミちゃん」
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