第二話 不穏

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第二話 不穏

  「犯人まだ捕まってないんだってな…。」 しばらくの沈黙の後、ひぐらしの小気味良い鳴き声以外の音が止まっていたこの重い空間を真っ先に切り裂いたのは上野だった。 「らしいな…。」   俺も間髪入れずそう続けるがそれ以上の言葉が見つからなかった。この閑静な街で起きた悲惨な事件、それは一週間ほど前に起きた。  その日、塾帰りに家路を急いでいた五年生の小学生女児を襲った悲劇。日が沈み、電灯の少ない住宅街の外れを歩く少女を、何者かが刃物で斬りつけると言う痛ましい通り魔事件が発生したのだ。  少女が背後から聞こえた何者かの足音を確かめるために振り返った刹那、後ろから縦一文字に凶刃が振り下ろされた。左腕を負傷した少女は激痛でその場にへたり込み、声も出せずに犯人を見上げたが、この犯人の出立というものがまた奇妙だったと言う。    暗闇であったことと少女が恐怖により対象が大きく見えたと言う点を除いても、その何者かは身の丈190cmはあろうかの大男、ではなく黒いワンピースを着た大女だったと言う。女の顔は身なり同様に黒く長い髪に隠れてよく見えなかったそうだが、口角は確かに三角につり上がり不敵な笑みを浮かべ、白い歯が暗闇の中でも見えたと言う。   そこへたまたま部活帰りの地元の高校生数名が通りかかり、それを見た大女は踵を返し闇の中に消えていったようだが、この高校生たちも確かに大柄で不気味な女が走り去るのを目撃したと言う。  すぐに保護された少女に幸い大した怪我はなく、大事に至らなかったというがその小さな心についた傷は負傷した腕とは比べ物にもならないほど深い傷であったであろう。  「気持ち悪いよな、そんなでかい女存在すんのかな、口裂け女の現代版かよ。まずその女は人間なのか?」 普段冷静な片桐もひどく動揺しており、しきりに汗を拭くなど落ち着きのない様子だ。  「な、俺が母さんに早く帰って来いって言われてるのはこう言うことがあったからって言うのもあるんだ。前から言ってるだろ?な、わかるだろ?な?」 工藤もいつも以上に早口になっており、得体の知れない存在への恐怖を物語っている。  「その襲われた女の子、俺の下の妹の隣のクラスらしいんだよ。俺も実際親にあんまり遅くに外を出歩くなって言われてるわ、無視してるけどな。」  いつもふざけてばかりの上野でさえいつになく真剣な顔をする。だが佐野だけはあまり物事を重く考えてないのか普段と同じ調子で続ける。   「てかここ最近さ、猫とか鳩とかカラスの死体めちゃくちゃいっぱい見つかってるらしいな。絶対その女が犯人だろ。」 確かにこの町ではここ数週間、佐野の言う通り小動物の惨殺死体が何度か発見されている。だが地域で起きる凄惨な事件はこれが初めてではないことを俺は知っていた。  「間違いねえな。なんでかこの町ってやけに事件多いよな。中学校は全然荒れてないのに治安悪く感じるんだよ。」  俺がそう言うのも、この町では俺たちが生まれて15年ほどの間に、既に何度か世間を震え上がらせるような事件がそれも多くは人命な関わるものが、身近で何度も起きているからである。なにか目に見えない嫌な空気が町を覆っていることは肌感覚で感じることではなく、確かに真実として起きた事ばかりであり、その実体を裏付けていた。 「確かにな、永瀬と俺の家の近くのアパートでババアがジジイをタオルで締め殺した事件とかもあったよな。あれって結構最近じゃね?」 「あったな、半年くらい前か。老々介護がどうとかいう。」  片桐と俺は同じ町内で親同士も付き合いがあるが、俺たちの住む地区の目と鼻の先でもそのような事件がそう遠くない過去に起きていた。 「呪われてるんだよこの町はきっと。」  工藤がそう言い終わったとほぼ同時だった。 タタタッ。俺たちの会話とセミの泣き声以外に聞こえた物音。それはタイミングが良すぎる故におさまりが悪く感じた。 「何だ今の音!?なんか走っていったぞ。えっ、マジで今のなに?」 「野生の馬か鹿でも出たか?めっちゃ速かったな。」 「馬鹿、この辺にそんな野生動物いねえよ。」 「音的に森の奥のほうに行ったっぽいな。俺たちがいるのバレたかな?ここを勝手に使ってるのバレて通報されるのもまずいよな。」 一斉に俺たちは騒ぎ立てる。全員に何かが炭焼き小屋のすぐ外を駆け抜ける音がはっきりと聞こえた。外の道は滅多に人が通る道ではない。夏の森の湿った黒土の上を何者かが走り去る音、それが俺たちの間に再び不穏な空気を置き去りにしている。  「今の音大女じゃね?」 いつも通りのふざけた口調の佐野の発言に誰もほくそ笑むことさえなかった。
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