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第四話 逃亡
「は、なんだよ。は?どうした急に。」
一斉に走り出した三人をみて呆気にとられる佐野。
「なに急に携帯鳴らしてんの。着信音?」
同じく自体を飲み込めていない工藤がオロオロしながらも至極真っ当な質問をする横を俺たちはダッシュで駆け抜ける。詳しく話す時間はなく、今はなんとしても逃げ切らなければならなかった。
「説明は後だ、とにかく逃げろ。」
こんな三文芝居のようなセリフを言う日が来るとは夢にも思わなかったが、それだけで自体が切迫していると二人にも伝わったのか、佐野と工藤も堰を切ったかのように走り出す。
「なんだよ、意味わかんねえよ。」
佐野が疾走しながら大声を上げる。
女が追っかけてきているかは分からないが、先程の音は止んでいた。携帯の音もいつのまにか切れている。
「おい片桐!」
蜘蛛の子を散らしたように一目散に走りながら俺は片桐に叫ぶ。森からの脱出に先立って俺は走りながら確認せねばならない事があった。
「お前、なんで音出したんだよ。あとでちゃんと説明しろよ。」
「まじでごめん、まじでごめん。」
片桐はそう繰り返すのが精一杯のようだ。そのまま一心不乱に走り続ける。祠の横を駆け抜け、炭焼き小屋の横の道も通り過ぎる。これまで部活動で運動していた中学生男子が森を脱出するのにそう時間はかからなかった。
森の出口を出て、一旦後ろを振りかえるも女が追っかけてきている様子はなかった。そもそも気付かれているのか。皆のスピードが少し緩む。
「まだここがゴールじゃないぞ。とりあえずここから近いコンビニまで走るぞ。」
上野が森を抜けてもなお全力疾走を続けるそぶりを見せたので流石に疲れた俺が声を上げる。
「なんで?女来てないじゃん。」
「多分見られた!」
その短い言葉だけで状況がかなり不味いとわかるには十分だった。心拍数が上がるのがはっきりと分かったが、それでも俺も片桐も一層スピードを上げ、まだよく自体を飲み込めていない佐野と工藤はかなりバテていた。
それから俺たちは森の近くの比較的交通量の多い道をただ走り抜けた。
「あー着いた。ストップ!」
コンビニの灯りが灯台のように感じる。全員の息が上がっている、さすがに10分以上の全力疾走は部活を一ヶ月前に引退した身体には応えた。
駐車場と店の間にあるベンチに腰を下ろし、ようやく危機から脱したと脳が理解する。
全員が息を整えるのに1分ほどかかったがその間も片桐はすまん!とだけ繰り返していた。
「なぁなにを見たんだよ?さっき女がどうとか言ってたよな?まさか本当にあの大女がいたのか?それとも俺と佐野を驚かそうとしてんのか?」
興奮冷めやらぬ工藤が早口で問い詰めてきた。
「そのまさかなんだよ。人形か何かを御神木に打ち付けてたっぽい。」
俺が目にしたものだけを伝えるとみるみる工藤の顔が絶望感で満ち溢れる。
「おいそれ本当か?俺らをびっくりさせようとしてわざと走ったんじゃないのか?ドッキリなんだろ?」
工藤が俺の両腕を掴み揺さぶる。現実を直視できないのは俺もだ。
「いや、残念ながら本当の話だよ。俺たちも見たんだ。」
横から上野が言うと工藤は鬼の首を取ったかのように叫ぶ。これが演技ではないとわかったようだ。
「ほら見たことか!ろくな事がない。やっぱ音の正体なんて確認せず大人しく帰るべきだったのに!」
人間正論を突き立てられると言葉が出なくなる。
「それマジの話?てか人形を打ち付けてたってなに?藁人形とかそういう呪い系?」
続いて佐野が尋ねる。この説明だけでは全貌が伝わっていないようだ。
「いやあれは呪いというよりも練習見たいな感じだと思う。人を縛り付けて撲殺するような実戦練習かな。多分だけどな。」
現場を目の当たりにした上野が汗を拭いながら答える。先ほどの光景を見るに、俺も上野と同じ感想を抱いていた。あれは確実に実戦練習だ、人形のサイズがそれなりに大きかったことが何よりの証拠である。
「お前な、太平洋戦争時の竹槍訓練じゃないんだぞ。怖いこと言うんじゃないよ。」
工藤が妙な例えを挙げるが誰もピンとこない。
俺たちが見たものを二人に事細かく説明するのは時間がかかった。俺たち自身、目にしたものがあまりにも非現実的で、恐怖に満ちていたからだ。
とりあえずは奇妙な女が森の中で狂気じみたことをしていた、それを見て俺たちは逃げる羽目になったと言う大筋は佐野も工藤も理解できたようだ。
「それよりお前なんで携帯鳴らした。通報もしてないし。」
先ほどから黙り込んでいた片桐に、唐突に上野がつっかかる。俺も忘れかけていたが、こんな大慌てで大脱走を図ることになったのはこの男が原因であった。
「そうだ忘れてた、あれ何の音?着信?」
「みんな、ほんとにごめん。怒らないで聞いてくれ。あれ実はさ、あのタイミングで未来から電話かかってきたんだよ。」
それを聞き一同が硬直するが無理もない。あの場面で携帯電話が鳴るなんて、今時サスペンスドラマでもなかなかないだろう。
思いもよらぬ回答に全員が呆れ返り、そこから片桐に罵詈雑言の集中砲火が始まる。
「は?馬鹿じゃねぇの。通知切っとけよ。」
「何考えてんだよ。余計なことしてんじゃねえぞ。」
「やべえわ、こいつもこいつの彼女も。早く別れろよ。」
「明日お前の女攫っちまうぞ。」
普段から歯に絹着せぬ物言いをモットーにしており、日々汚い言葉での罵り合いが横行している俺たちであったが、流石にこの失態は看過できなかった。
「いやほんとごめん。一応すぐ切ったんだよ。通知もオフにしたし。今携帯見たらとんでもない数のメッセージが来てたわ。」
弁解する片桐に上野が苛立った様子で手痛い言葉をぶつける。
「お前そんなん意味ねえよ、結局通報もできず最終的に逃げることになったんだからよ。」
当の本人である片桐含め全員絶句し、その後は笑うしかなかったが、皮肉にもそれによりある程度の緊張が緩和され僅かにだがいつもの雰囲気が戻った。もうすでに通報云々の話は全員の頭の埒外に行ってしまっていた。
しかしまだ恐怖は全く払拭されいない。
「あと見られたって言ってなかった?上野さんよ。」
俺は先ほどの上野の発言を取り上げる。はっきりさせるべきもう一点はここであった。
全員の視線が上野の方に集まる。これからの俺たちの運命を左右しかねない、重大な証言になりうることは間違い。
大女からの逃亡は未だ完遂していなかったのか。
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