第一話 晩夏

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第一話 晩夏

 8月31日、夏の暮れ、時刻は18時前。斜陽を遮る木立の中にある「炭焼き小屋」に俺たちはいた。  炭焼き小屋といっても実際に炭を焼いていた形跡はなく、誰かが放置した寂れた農具置き場のバラック小屋を中学生の俺たちが不法占拠し、溜まり場にしていたのだ。 「まだ終わらないの?早く帰らないとお母さんに怒られちゃうだろ、お前ら写すだけに何時間かかってんの?そろそろ帰らせてくれよ。」 日に焼けた細い腕で手作りの木の机を叩く工藤淳少年は苛立ちを隠せずにいた。神経質な工藤はハンカチで朝黒く焼けた顔を拭きながら何度も催促を繰り返す。 「いいじゃねえか、俺たちの宿題を助けて感謝される方が100倍徳を積めていいぜ。」   工藤の問題集と自分の問題集を交互に見ながら文字を書き写す上野浩がそう答える。工藤と同様に日焼けした横顔は大きな二重の目のせいもあってか東南アジアの苦学生のようにも見えた。  上野の母はベトナム人のハーフであり、その血が流れている彼もクォーターということになる。 「そうだよ、もう直ぐ終わるからちょっと大人しくしてろよ。」  同じく自分のノートに高速で文字を書き写している佐野修平が厚顔無恥に便乗する。佐野は少し伸びた坊主頭、細い糸目に痩せこけた頬、衛生士も矯正器具を付けるのに苦労したという程ガタガタの歯とかなり個性的な見た目が特徴で、中身も何を考えているかよくわからない変わったやつだった。  「ふざけるな、人の宿題を写しておいてその言い草。書生の身分でありながら努力することを放棄した浅ましいやつらめ。片桐も何か言ってやれよ。」  工藤は小屋の奥のドラム缶の上に腰掛けて携帯電話を操作していた片桐直幸に助け舟を求める。  「まぁ工藤さんは夏休み前半は宿題で困ったらこの僕に頼りたまえって言ってたんだけどな。そうだよな永瀬。」  今度は片桐が俺に向かってニヤついた表情を浮かべた。綺麗な笑窪ができており、ハンサムな顔立ちがどこか中性的に見える。  「ああ、言ってたなぁ。やっぱり人間自分が一番可愛いもんな。」 俺、永瀬仁も悪友片桐の肩を持つ。 「うるさいうるさい、状況は常に変わるもんだ。お前ら全員受験の時に後悔して泣きを見るんだよ。」  工藤が悔しそうに声を張り上げ、皆がそれを見て笑う。そんな平和な夏休みも今日で終わりだった。 炭焼き小屋の入り口に置いた蚊取り線香の煙がゆらゆら陽炎の如く揺れる。すべてが名残惜しかった、まだ帰りたくはない。工藤も口ではああ言っているがやはり明日から再開する学校生活にどこか抵抗があるように見えた。  ここのメンバーは皆同じクラスの人間だった。俺と片桐と佐野は同じクラスで、さらに同じ野球部に所属しており、7月の下旬に惜しくも地区大会で敗れた後、心の穴を埋めるかのようにここに入り浸った。  元々この小屋の存在はなんとなく知っていたが、部活の引退とほぼ同時に誰からともなく、あの小屋を改造して秘密基地にしようという話が持ち上がった。それから所謂DIYで机や椅子の作成に打ち込み、受験勉強も二の次で秘密基地の快適さを求めた。そしてその小屋を俺たちはイタリアの秘密結社よろしくカルボナリ(炭焼き小屋)と名付けたのであった。  また同じクラスでいつものメンバーであったサッカー部の上野と水泳部の工藤も引き入れ、夏休み中暇な時はここに集まり特に目的もなくただただ日々を過ごしていた。  そして俺たちが住む千葉県船橋市、人口や規模でいえば都会といって差支えない街ではあるが、この地域は市内でも北部に位置し、畑や森が多く田舎の一面を色濃く残していた。また隣接する白井市や八千代市の方が馴染みがあるくらいの場所である。この小屋もそんな緑の溢れる林の中に存在し、夏でも比較的涼しく過ごすことができた。  「でも栃木旅行は行きたかったなぁ。あれだけは本気で悔いが残るわ。」 片桐が虚空を見上げながら唐突に呟く。 栃木旅行といっても、このメンバーで朝の5時に自転車で船橋を出発し、栃木県内に入ったらUターンして帰ってくるという旅行とも呼べない意味不明な計画であった。ただ日頃から常に刺激を求めていた俺たちは、何か伝説を残したいという一心で全員が決行を誓っていたのだ。  「ほんとだよ、台風の野郎絶対許さねえ。」 ノートに走り書きしながら佐野が吐き捨てる。  「佐野だけ中止になったこと知らなくて前日夜に楽しみで寝れねえって電話かけてきたんだよな。台風来てること知らなかったのかよ。」 俺がそう言うとまた皆が笑う。想像していた夏の伝説は幻と終わったが、また違った形で伝説が生まれたことに間違いなかった。  「まぁ俺は栃木に行くっていったら未来に泣かれたけどな…。」  片桐がはにかみながら言う。片桐は隣のクラスの稲川未来という可愛らしい女子生徒と交際しており、一見美男美女の良きカップルであるが女側の愛が重すぎると仲間内で度々話題になっていた。  「あのバカ女はお前が栃木に転校するとでも思ってたのか。」 上野が高笑いするとすかさず片桐が訂正を入れる。 「バカ女とか言うな。愛されてるんだよ俺は。」 「愛が重すぎるんだよ。俺たちと遊んでても不機嫌になるらしいじゃない。」 今度は工藤が割って入る。それに一同が頷く。  「でも片桐は愛されてていいなぁ。俺たちには泣いてくれる女なんて母ちゃん以外いないもんな。」  俺もそう続けると片桐以外の全員がそうだそうだと声を上げる。やめろやめろと困惑する片桐、毎度お決まりの流れがそこにはあった。 だが次に佐野が放った一言で皆の顔色が変わる。 「さすがの俺でも例の通り魔に刺されたらクラスの女共も泣いてくれるかなぁ。」  笑えない冗談に全員の動きがピタリと止まる。 時刻は18時15分、晩夏の西日が完全に届かなくなった炭焼き小屋の中に非常に嫌な空気が流れた。
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