武芸大会(2)

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   武芸大会(2)

 「私があの方の妃になっても、あなたの立場が変わることはない。これ見よがしにあなたを虐げたり追い出したりしたところで、かえってライアス様の心を遠ざけるだけ。外で私を王妃として立ててくれるなら、内であなた方がどんなに仲睦まじくしてようと見て見ぬふりをしてましょう。パテラの姫、ライアス様に私との婚姻を受け入れてくれるよう、あなたから頼んで欲しいのです」  あまりにあからさまな嘆願に、ユリアナは心底驚いた。と同時に、ミオーネが自ら恋敵にすがるほど追い詰められていることに同情を禁じ得なかった。  「私は一度もあなた方二人の結婚の邪魔をしたことはありません。あなたの御一族の支援がなければ彼の王位が安泰でないと聞いた時から、むしろ王子に勧めたほどですもの。だけど、王子は聞き入れようとしないのです。父親と違って一人の愛情を二人の女に分け与えることが、あの人には出来ないのです」  「ですから、私は王子の愛情など要らぬと言っているのです。王妃という地位さえあれば、それで十分です。私は何度もそのことを伝えようとしたのだけれど、ライアス様は私とは口をきこうともなさらない。直接伝えられないのなら、あなたに頼む他ありません。どこにも身の置き場のない私の境遇を察して。どうかお願い」  そう語りかけるミオーネには鬼気迫るものがあった。そんな彼女に圧倒され、ユリアナはいつのまにか首を縦に振っていた。  「分かりました、私からも王子にもう一度話してみます。ですが、それでもあの人の気が変わらなかったら、どうなさるおつもりです?」  「私はもう父の館には戻らない。王子がどうしても私を要らぬと拒絶するなら、私は」  と、ミオーネは胸に手を当て、  「死ぬまでです。この年になって、今さら神殿に籠るのも恥ずかしい。誰からも必要とされぬこの身の行く先は、もはや黄泉の国しかないでしょう」  何と哀しい人だろう。もしや危害を加えられるのではと、一瞬でも疑ったことが恥ずかしく思えるほどだ。ユリアナは外で待たせていたアイヤ共に来た道を戻っていったが、その間どうすればミオーネの助けになるかとそればかりを考えた。  キトリから知らせを受けて、丁度ライアスが天幕に戻ってきたところに鉢合わせた。  「ミオーネの所に連れていかれたとキトリが話していたが」  強制的に連れていかれたのではないし、ミオーネとは会話しただけだとユリアナは説明した。  「話があるの、ライアス」  天幕の中で二人きりになるや、ユリアナはミオーネとのことを全て話した。  「ミオーネは私に親切にしてくれたわ。私を自分と同じ椅子に座らせ、少しも見下した感じを見せなかった。あの人は不幸な人だわ。そして、ライアス。それにはあなたにも責任があるのよ。許嫁である人をいつまでもほったらかしにしていたなんて」  「私は何度もミオーネとは結婚しないと父上に話した。それ故、他の男に嫁がせてやって欲しいと。だが、父上は全く耳を貸そうとしなかった。彼女を迎えに行かなかったのはそれ以外に方法がなかったからだ」  「実家で肩身の狭い思いをしていたのよ。もう家には帰らないと固い覚悟を決めてここへ来たの。ライアス、あの人はこれから先も私を追い出す気はないとはっきり言っているし、やはりミオーネを妃として迎えてはどうかしら」  「嫌だ」  子どものようにきっぱりとライアスは言い張った。  「これ以上、同じことを言わさないでくれ。そなた以外の妻は要らぬと言ってるのに、何故そなたまでもが私を責め立てるのだ」  今の今までケイレーンに叱責されていたのだろう、いつもは穏やかな王子にしては珍しく嫌味をことを口にした。  「実は私の妻でいることが、そんなにも嫌なのか? もしや昔の許婚を今も密かに慕い続けているとか? 祖国を滅ぼした私への恨みが今なお消えず、それで嫌がる私にミオーネを押し付けようとする魂胆ではないか?」  「馬鹿なこと言わないで、そんな訳ないでしょう」  気を悪くしたユリアナはすぐさま言い返した。  「シルベールは今でも私にとって優しい思い出だけど、本当にそれだけのことよ。今はあなただけを愛してるし、だからこそ私はあなたの妻になったんだわ。復讐心からじゃない、私自身がそう望んだの。ねぇ、ライアス。私は今幸せよ。でも、私たちの幸せが他の人の不幸の上に成り立っているかと思うと、心苦しくもあるの。私は晴れがましい地位なんて少しも欲しいと思わないし、それはミオーネに任せておいて、私はこれまで通り機織り女でいたって構わないのよ。考えてみて、それが誰にとっても良いことになると思わなくて?」  「そなたの論理はおかしい。肝心なことを忘れている。この私はどうなるのだ? 皆が丸く収まって、私は不幸になってもよいとでも言いたいのか?」  と、ライアスは憮然として、  「そなたは本当にそれでよいのか? ミオーネを妃にして何とも思わぬのか? そなた一人の問題ではない。もしそなたに子が生まれても、その子はただの庶子だぞ。私からカトレの王位を受け継ぐことも出来ないが、それでもいいのだな」  まだ生まれてもいない子どものことなど考えてもみなかった。王子の言う通り、ユリアナの決断一つでその子の未来が変わるかもしれない。だがーーー  「私たちの間に息子が生まれるとは限らないでしょう」  「そうだな。しかし、生まれないとも限らない」  ライアスは険しい口調で続けた。  「私はそなたの息子にこそ王位を譲り渡したい。だから、なおのことそなたと正式な婚姻をしたい。この世で最も愛しい女一人を妻にと望むのが、それほど悪いことなのか」  王子は不機嫌な態度を崩さぬまま、ユリアナに背を向けて寝台の上に転がった。ユリアナは小さく肩をすくめて、同様に彼に背を向けて横になる。  何となく気まずいまま朝を迎えた。武芸大会の二日目が始まった。この日の種目は拳闘だ。昨日の角力ほど観戦に集中出来ないのは、夕べのライアスとの言い争いのせいだった。  王子がユリアナ一人だけと言ってくれるのは正直嬉しい。本当は、自分以外の誰にも目を向けて欲しくない。が、乞われるままに王子の妃の地位を望めば、悪し様に言われて足を引っ張られるのがおちである。息子に恵まれても、王位を巡る醜い争いに巻き込まれ、悪ければ命を落とすやもしれない。テアを発つ時、人並みの幸せを求めてはならないのだと心に戒めた。誰一人味方がない中細々とでも生き抜く為には、決して出過ぎた真似をしてはならないのだ。  ライアスとの間に溝を感じる一方で、武芸大会の方はと言えば順調に進行していた。特に弓術の部門ではマチウスが優勝し、文字通り得意満面の様相だ。兄が相手にしないのをよいことに、彼は武芸大会の間中、しつこくミオーネに付きまとっている。その魂胆を知るミオーネは彼に近付く隙を与えまいと必死だったが、手練手管に優るマチウスに敵うはずもない。  三日四日と過ぎていき、最終日には槍の試合が行われた。優勝経験のあるライアスに出場資格がないが、得意な部門ということもあり、かなり熱心に身を乗り出して観戦していた。ユリアナはまだもやもやとしたものを内に抱えたまま、早くこの武芸大会が終わってくれとそればかり念じていた。覚悟していたとは言っても、カトレの人々の言われなき誹謗や冷やかな視線は想像以上に辛いものがあった。  競技者の中にひときわ目を惹く者がいた。服装から判断して、カトレ人ではないのは明らかだ。しかし、細身ながら素早い身のこなしで大柄なカトレ人の対戦相手を次々と打ち破っていった。優勝者を決める最後の試合では手に汗握る接戦を制し、とうとうこの異国の男が勝利を手にしたのだが、栄誉を讃える冠と商品を受け取る段になって、男はそれらには目もくれずに貴賓席へと歩いていき、ライアスに向かってこう言ったのだった。  「ライアス王子。あなたに試合を申し込む。その為に私は遠い国から遙々ここまでやって来たのだ」  突然の成り行きに会場中がざわついた。ライアスは立ち上がり、身ぶりで皆を鎮めてからこう答えた。  「そなたは他国の人間ゆえ決まりを知らぬのだろうが、一度栄冠を讃えられた者は同じ競技に出てはならない慣わしなのだ」  「それは百も承知だが、敢えて勝負を挑みたい。王子、あなたの後ろにいるパテラ人の女性を賭けて」  たちまちライアスの顔色が変わる。  「何だと?」  「私があなたに勝てば、その人を頂きたい」  ライアスが拳を固く握りしめたのをユリアナは見た。  「この人は私の妻だ。妻を勝負の賭けにするなどもっての他だ」  「そうでしょうか? 私はこの場にいるありとあらゆる人に尋ねました。だが、皆の答えはこうでした。王子は未だ妻帯されておらず、パテラの女は単に気に入りの情婦に過ぎぬとーーー」  男の言葉が終わらぬ内に、ライアスは憤怒の色もあらわに席を蹴った。ユリアナは咄嗟にその腕を押さえて、  「駄目よ、ライアス。あの人の挑発に乗っては駄目!」  「あいつはそなたを公衆の面前で侮辱したのだぞ!」  取りすがるユリアナの手を払いのけて、ライアスはひらりと貴賓席から飛び降りた。借り物の冑と楯、それから槍を手にして異国の男の面前に突きつける。  「名を名乗れ、お前は何者なのだ?」  「名もなきジュイオット人とだけ申し上げておきましょう」  自らをジュイオット人と名乗った男は自らの槍を振り上げて、たちまちライアスの槍を振り払った。それを合図とするかのように、二人の男たちの槍の乱舞が始まった。  王を含めこの場にいる全員が思わぬ展開で始まった槍試合に拍手喝采を送ったが、ただ一人ユリアナだけは試合の行方に気を揉んでいた。ライアスがこの異国の男に負けるとは全く思わない。ただ呼吸するのも忘れて二人の動きを見守っている内に、自然と異国の男の方へと目が吸い寄せられていく。あの人の動き、仕草、雰囲気ーーー  『シルベール!』  我を忘れてユリアナは立ち上がった。そして、まさにその時、ライアスの槍が男の胸を貫く寸前でもあった。  「ライアス、やめて! その人を殺さないで!」    と、悲鳴にも近い叫び声を上げながら、ユリアナは競技場に飛び出していた。  「神を讃える祭りの場で、その手を罪で汚してはなりません。この者は競技の勝者、すなわち神の祝福を受けた者なのです」  「たが、この者はそなたの名誉を汚しーーー」  「いいえ、私の名誉は少しも汚されていません。たった今、あなたの槍が私の汚名を雪いでくれました。あなたがこの人を打ち負かしたことは、誰の目にも明らかです」  それ以上反論することなく、ライアスは槍の先を引き戻した。と、ユリアナは次に地面に横たわる男の方にも声をかけて、  「立ちなさい。勝負はついたのです。二度とこのような無謀な要求をしてはなりません。これだけは言っておきますが、仮にお前が王子に勝っていても、私はあなたのものにはならなかったでしょう」  振り乱した褪せた金色の髪に無精髭。どこにもかつてのパテラの貴公子を偲ばずものはない。ただその目がーーー淡い青色の目だけがはっきりと自分はシルベールだと告げていた。そして、彼が食い入るようにユリアナの銀の首飾りを凝視しているのを見て、彼女ははっと胸を突かれた気がした。  『やっぱり、この人はシルベール? でも、まさかそんなことってーーー』
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