第一章 望、怪異と遭遇す

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第一章 望、怪異と遭遇す

(1)  ……窮地である。  公望(おおやけのぞむ)、人生始まって以来の。  ――今朝、バイト先の会社の社長一家が夜逃げした。  なんでも口座の運転資金をごっそり引き出して失踪したらしい。  従業員一同事務所で呆然としたのだけれど、結局あの場に居ても事態が進展しない事から解散となった。  部長は何かわかったら連絡するとか言っていたものの、ワンマン経営の小さな会社である。  正直な所、早期解決は絶望的だろうと言うのが、その場の全員の見方だった。  かくして、この程事実上の失職が決定した――と言うだけならば、まだ立て直しの算段を考える事もできただろう。  不運とは、重なるものである。 「え……大家さん、亡くなったんですか?」 「まあ、元気に見えて八十超えてたからね。ポックリ大往生だったって話だよ」  安アパートとは言え、天涯孤独の身である僕を居させてくれた気のいい婆ちゃんだった。  同じアパートに住んでいるおじさんが寂しげな声で言う。 「次の行き先……考えなきゃなァ」 「そうですね……え?」  その言葉に漠然と相槌を打ってから、僕は思わず間の抜けた声で聞き返した。 「行き先……ですか?」 「ああ。さっきまで息子さん夫婦が来ててね。望君ところは不在だったみたいだからポストに手紙入れてってると思うけど、だいぶ相続の負担になるらしくてここは処分する事になるらしいんだよ」 「……処分……」 「以前からここ、売却するように大家さんには言っていたらしいんがね。……ま、そういうワケで、今日明日ってわけじゃないが望君もこの先の事考えないとな」  おじさんは苦笑して頭をポリポリとやりながら、自室へ戻って行った。 「……」  ……かくして。  そう。今度こそ、かくして大ピンチと相成ったのである。  ポストに入っていた大家さんの息子とやらが残していったアパートの今後について書かれた通知を、部屋へ戻って呆然と眺める。 「……」  なんてことだ。  衣食住がまるで申し合わせたかのようなタイミングで同時に危機に陥っている。  学生だと言うのに働き口のアテを探し始めるのと同時に転居先まで探さなければならなくなってしまった。 「はああああああああぁぁぁぁぁぁ……」  思わず盛大な溜息を漏らし、ベッドに倒れ込む。口から魂出そうだ。 「……普通の人なら、実家に戻るなんて選択肢もあるんだろうけど……」  施設で育った僕には、帰る場所なんてありはしない。  里親だった変わり者の爺さんも二年前、僕が高校を出るまでの学費と幾ばくかの資金を残して、この家から忽然と姿を消してしまったのである。  そんな僕が、一体どこへ戻れと言うのだろう。  テーブルの上に通知書を放り出してPCを立ち上げ、求人サイトと不動産サイトを巡る事にした。  ――とはいえ。  そう簡単に都合のいいモノがホイホイ見つかるくらいなら、今の生活だってもう少し別の形に収まっていても良いわけで。 「……無理でしょ」  小一時間ほどして、再び思わず大の字に倒れ込む。  生活がかかっている以上、あまり安い仕事は選べない。  しかしすぐ見つかるものはこれまで以上の薄給だったり、割のいいものは片道二時間近くかかる場所だったり。  この先転居が必要になり、その家賃が今のアパートより軒並み値上がりする事を考えれば迂闊に妥協できない部分がある。 「……どうしろって言うんだこれ……」  死んだ魚みたいな目でテーブルに目をやる。 「……ん?」  ……と。  大家さんの息子からの通知書と一緒に放り投げたチラシに目が留まる。  普段ならロクに見もしないで可燃ごみ行きにするのだけれど。 「何だ……?」  目がおかしくなったのだろうか。  僕には、そのチラシが何だかうっすらと、不思議が光を放っているように見えた。  手に取ってみると、それが紙質による光沢の類ではない事がわかる。 「……ほんとに光ってる」  訝しみながら、チラシの中身に目を通してみる。 「重要歴史資料編纂の業務……住み込み可……食事支給有り……? これ求人広告なのか?」  業務内容から推測して役所系か何かかとも思ったけれど、紙面をみる限りではどうもそんな感じは無い。 「白鶴堂……? 聞いたことないけど本屋さんか何かかな……?」  書いてある給料は、正直今までの僕の給料と比較しても高めだ。  それに加えて住み込み可で食事付きだなんて、正直好待遇と言っていい。 「胡散臭い」  こんな仕事が、webでも求人雑誌でもなくこんなローカルピンポイントなチラシで入ってくると言うのはにわかには信じ難い。  普通に考えて、蓋を開けたらとんでもないブラック待遇だったりするのがオチである。  おまけに働いてばかりで出席日数の危うくなりつつある学校との兼ね合いも考えねばならない事を考えれば、不安な点が多すぎる。  秒でゴミ箱行き。  ……普段ならば。 「……」  理由は自分でもわからない。  けれども、その求人広告を捨ててはいけないと、僕の中の何かが告げているように感じられたのだ。  翌日。 「……ほんとにこんなトコにあるのか?」  千代田区某所。  サブカル系の業種がひしめく町の一角、雑居ビルの中に、面接先は在った。  あのあと広告にあった連絡先に電話をしてみたところ、自動音声でここへ来るようにアナウンスされたのである。 「いつでも来ていいなんて、いよいよ胡散臭いな……」  余程人員不足でいつでもウェルカム状態なのか。 「不安だ」  よしんばあの求人内容が本当だったとして。  そんなに人員不足で逼迫していたら途方もない労働時間が待っている気がしてならない。 「……けど」  鞄の中から、求人広告のチラシを取り出してみる。  一晩明けても尚、それは確かにうっすらと光を帯びて見え、僕の心はその不思議な輝きに魅せられていた。  チン、と。  エレベーターが停止する。  僕は一つ深呼吸をして、扉が開くのを待った。 「――――は?」  一体誰が予想できるのだろう。 雑居ビルのエレベーターを出たら一面の草原が広がっているなどと。  ずっと遠くまで続く緑色。  抜けるような紺碧の青空。 「何だ……これ」  常軌を逸した光景だった。  それでもエレベーターの扉を閉めず、あろうことか一歩を踏み出したのは、やはりそこに何か運命めいたものを感じたからだろうか。 「建物の中のはずなのに……風が吹いてる」  空調のそれとはまるで違う。  風の中に、足元の草だけじゃない自然の匂いが混じっているのを感じていた。  道しるべも無いその草原の中を歩く。  踏みしめる足元の感触も、草と土の感触があった。  少し遠くに、ちょっとした丘のように草原が盛り上がっている場所があるのが目に入る。 「大きい木だな……」  その丘の上に、一本の木が生えているのが見えた。  自然と、足がそちらの方角へ向いた。  近くまで行くと、甘い果実の匂いが立ち込めている。これは、知っている匂いだ。  見上げた枝には、淡い色の果実。 「桃……けど何でこんな場所に」  理解の追い付かない頭で桃の生っている枝を見上げていると、 「――食べても結構ですよ」  不意に、背後から声がした。  いつからそこに立っていたのか。  今まで人の気配なんてしていなかったのに。 「こんにちは」  そこに立っていたのは、純白の、大陸風の衣装に身を包んだ少女。  年の頃は僕よりも結構下……十二、三歳と言った感じだろうか。  屈託ない笑顔で、僕に向かって顔の前で片手を握りこぶしに重ね合わせ、大陸映画なんかで見るような丁寧なお辞儀をする。 「あ……えと……こんにちは」  つられてお辞儀を返したところではっとなる。  こんな場所に保護者も無しに一人でうろついているのは迷子か何かだろうか。 「えーと……君、道に迷ったとか……かな?」 「……?」  女の子は不思議そうな表情で首を傾げた。  自分の置かれた状況が理解できないのなら、尚の事急いで親御さんを探してあげなければならない。 「いや、僕も迷ったと言えば迷ったクチなんだけど……お父さんやお母さん探すなら手伝うからさ」 「はあ」 「君、名前は? 僕は――」 「公望さん、ですよね?」 「……え?」 「公望さん」 「そ……そうだけど……どうして僕の名前……」 「あなたは今日、何をしにここへ?」 「いや……その、仕事の面接に……白鶴堂って所に……」  僕が答えると、女の子は満足そうな笑みを浮かべた。  そして小さな身体で目いっぱい両手を広げ、こう告げたのだ。 「ではやはり間違いありません。お待ちしていました。白鶴堂へようこそ、かの大役を継ぐものよ」
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