札幌ラーメン

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札幌ラーメン

「うめぇ」 誰もがそう言う、最初の一口で。 雅人のラーメン店『バイキング』の味噌ラーメンのスープは極上。 ここススキノでは、はしご酒した最後にラーメン。 午前一時、雅人の店は客で溢れていた。 最後のスープの一滴まで残さずに完食する若い男性客を、雅人はカウンター越しに見て、八年前の自分の姿と重ねていた。 9bac46ac-5023-4501-be3b-6d8e02aaf359 「うめぇ、こんなラーメン食った事ねえ」 雅人は初めて食べた札幌味噌ラーメンの丼のスープの最後の一滴まで飲み干した。 震災で仕事と家を失った母は、雅人を連れて福島から実家の札幌へ戻った。 あれは八年前。 母子家庭で貧乏。 『駆け落ち』で福島へ来た母は、札幌の実家と縁を切っていた。 その後、雅人の父は、雅人が七歳で病死。 母のパートの稼ぎだけでの極貧暮らし。 震災後、高校二年の春に札幌へ来て、初めて食べた札幌ラーメンの濃厚な美味しさが、雅人には衝撃的だった。 世の中に、こんな美味い食べ物が あったなんて 美味いよ、絶対に美味い 毎日食ってたカップ麺は何だったんだ 雅人は、カップ麺を『この世で一番美味 い食いもん』だと信じ生きてきた自分を、『貧乏のせいだ』と悟った。 それからは、アルバイトでお金が入ると、まずラーメン。 札幌の有名なラーメン店に足を運び、スープとチャーシューで、自分なりの『ラーメンランキング』を作成した。 高校を卒業した 雅人は修行を重ね、昨年、自分の店をオープンさせた。 ここまでの道のりは、過酷であった。 ふと、我に返ると、常連客が暖簾をくぐる。 「味噌チャーシュー。煮卵2つに焼き海老も二本乗せて」 と注文した。 その常連客は、いつものカウンター席に座り、ネクタイを背中に回す。 この男・瀬川龍児・50歳・広告代理店の部長に昇進したばかり。 瀬川はdunhillのネクタイを、ラーメン丼の中に浸してしまわないようにしていた。 今まで、泥酔して何度もネクタイをスープに浸している。 「チャーシュー味噌・二玉と二海老‼️」 と、雅人は厨房のアシスタントスタッフにオーダーを入れた。 アシスタントスタッフの健三は、冷蔵庫から大きな海老二本を出して網焼きを始めた。 雅人は、麺の茹で加減と湯切りに集中した。 命がけで仕込んだスープを丼に入れ、麺・具と、その手順は実に速い。 麺が伸びてしまわないように、手際が勝負。 寡黙に作る雅人の手元を、瀬川は酔った顔で満足そうに見ていた。 「ここのラーメン食べちゃったら、他は食べられないよ」 「ありがとうございます」 謙虚に雅人は味噌チャーシュー麺を瀬川の前に静かに置いた。 瀬川は割箸を割り、にんにくをたっぷり乗せて勢い良く麺をすすった。 雅人は他の客達に視線を動かした。 皆、飲み会の帰り。 「ラーメン食べて帰ろ。美味しいお店見付けたのさ」 そう言って次から次と、新しい客がゾロゾロやって来る。 入り口がドヤドヤした。 「連れて来ちゃった。雅人、五人座れる?」 雅人の恋人の薫が、中学校の同窓会の三次会の帰りに同窓生を連れて来た。 普通のOLの薫は容姿は10人並みで、性格は勝ち気。 その勝ち気はハンパじゃない。 雅人は、薫が言ってた今夜の同窓会の事を思い出した。 ああ、そうか、薫は同窓会だったんだ 「今、テーブル片付けるから、ちょっと待ってて」 ホール担当のアルバイト・育美が無愛想にテーブルを片付け始めた。 薫と睨み合いになった。 育美は雅人が好きだ。 だから、恋人の薫が憎いのだ。 薫は育美が雅人を好きな事を知っている。 雅人は育美に優しい、だから、腹が立つ。 しかも、育美は可愛い。 自分より容姿の良い女が雅人の側で働いているのが、心から面白くない薫。 なんで、クビにしないのよ こんな態度の悪い従業員、私ならクビに するわ 雅人は、この女に優し過ぎる もっと、経営者としてのプライドを持つ べきよ ふん、なにさ 薫は、じっと育美を睨んだ。 育美は薫にガンを飛ばし返し、テーブルを片付け終わると、途端に可愛らしい笑顔を雅人に向けた。 二人の睨み合いに気付かない雅人は、育美の笑顔に答えるかのように、笑顔を返した。 薫は余計に腹が立ってしまい、連れて来た同窓生の久保博司の隣に座り、彼の腕に体を押し付けて 「なんか私、酔っ払っちゃったぁ。久保~、方向同じだから、同じタクシーで帰ろー」 と、雅人に聞こえるように言った。 すると育美が雅人に言った。 「薫さんがあんな事を言ってますよ、いいんですか?」 雅人は苦笑いした。 薫の気性の激しさを知っているから、黙って見ているしかない。 瀬川が、しょうもない酔っぱらい中年だった。 「あんたら、お互い悪い気しないんでしょ。いいんでしょ、泊まるのかい?」 と、薫と久保博司の関係をいやらしく詮索した。 ますます育美は調子に乗って、 「薫さんは隣の男性にアプローチしてますよ、店長、いいんですか?」 雅人は横を向いて 「味噌三・醤油二。味噌二が海老一・醤油一が二玉」 と、厨房に怒鳴った。 薫、何だよ 当て付けかよ こっちは忙しいんだ そういうのは 俺の居ない所でやってくれや 雅人はムキになって、湯切りをしたものだから、健三は察して、薫の居るテーブルに視線をやった。 薫は久保博司とベタベタしていた。 「薫の彼氏、見てるからさ、イチャイチャするの止めなー。久保、こっち来な。……薫の彼氏ってスッゴいイケメンだね。何?芸能人みたい。身長も180以上あるしょ? 顔立ちスゴいね、いや、俳優だわ」 薫の親友のみどりが雅人に釘付けだ。 雅人の整った容姿にウットリ。 「ラーメン屋にしとくのもったいないね」 と誰かが言った。 12de1657-e8e8-4312-8add-a2f5cf2bb80b ラーメン店『バイキング』は、朝四時ラストオーダーで五時に閉店する。 片付けて店を閉め、早朝の地下鉄で中島公園のマンションへ帰る。 急いでシャワーを浴び、あとは爆睡。 夕方の仕込みまで、爆睡。 シャワーを浴び終えた頃から、眠気が襲い 、ベッドに入り瞳を閉じると、スローモーションで深い底に落ちていくように、あっと言う間に意識を失いそうだ。 薫からのLINEにも応答しない。 薫に腹が立っていたから。 あの同窓生の男と終始イチャイチャして いたから、もしかしたらあいつ、昨夜 は泊まったのかな? 酷いな、もしそうなら…… 雅人は、薫との体の関係に繋がれてるだけの自分に『しょうもない男の性』を感じていた。
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