無限に広がるその5分

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(まずは家に帰って、今までのこと謝って、これからは俺が面倒見れるように頑張りたい。俺の理想とは違うけど、普通に働くのも悪くないかもしれない) 今までは理想に憧れすぎてて望んでこなかった『普通』に、今は心から憧れる。 (途中で諦めてたゲームを終わらせたいし、暇な時間に趣味として絵を勉強し直すのも有りかもしれない。その内、恋人とかも作って、結婚して、両親には孫を抱かせてやりたいな。そう言えばちゃんと褒めたことなかったけど、母さんの料理は美味いって、伝えてやりたい…) 母親の料理を思い出した俺の腹が小さくなった。 「もう一回……母さんの、料理、食べてぇな…」 『あと30秒です』 この1分半でこれだけのしたいことが思い浮かんだというのに、今までの長い時間、何故したいことが思い浮かばずに悩んできたのか。 したいことが思い浮かばなかったのではなく、したいことすら考えることをやめてしまったのだと、ようやく今になって気付いた。 出来ないことばかりが目について、したいという気持ちに蓋をして、逃げてばかりの俺の人生。 やっと知った自分のしたいに向かい合う時間は、もうほとんど残されていない。 だから一つだけ次の自分に約束しよう。 次はしたいを少しでも出来たに変えられる人生にしたいと。 ビーーーーー けたたましいブザーの音が部屋に響く。 恐らく俺の人生の終わりを告げる音なのだろう。 人生最後に聞く音にしては好ましくないその音でも、名残惜しくて耳を澄ました。 『皆様、お疲れ様でございました』 ブザーが止まって次に耳に届いたのは、そんな労いの言葉だった。 『さぞかし驚かれていらっしゃることでしょう。ここからは、こちらからの一方的なご案内となることお許し下さい』 そんな前置きの後、本当に怒濤の案内が続くこととなる。 『この度は弊社企画の「無限に広がるその5分」へご参加頂き、誠にありがとうございます。皆様に置かれましては自らの意志によるご参加ではないため、私が何を話しているのかご理解頂けていない部分が多々あるかとは存じます。しかし、この企画に関しまして詳しいお話をさせていただくことは弊社業務に支障をきたす恐れが有ります故、ご遠慮させていただいております。何卒ご理解、ご協力のほど宜しくお願い申し上げます』 今回のことについて詳しい説明はもらえなかったが、全くなかったというわけでもなかった。 『弊社は、少しでも人のやる気を取り戻すお手伝いをさせていただく活動を主な業務としております。今回皆様はあと5分という人生で沢山のことを感じ、考えられたことと思います。人生は5分なんかより圧倒的に長いです。ぜひ色んなことを感じて、考えて下さい。そして、今最後に思い浮かんだしたいことをしてみてください。それだけで、今とは大分違った自分になれるはずですから』 最後に『本日ここで体験されましたことは。何卒、ご内密に』という一文を添えて、その場の締め括りとなった。 (とりあえず、帰るか。帰ったら、謝って、母さんの飯食って、美味いって言って…。それだけで、したいを出来たに変えられる) これからの人生、俺はどれだけのしたいを出来たに出来るのだろうか。 それがわかるのはきっと、人生の終わりまで『あと5分』という場面なのかもしれない。
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