はじまり①

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はじまり①

葵が父から受け継いだ漢方薬店は田舎の都会といわれる繁華街の中でも、風俗通りといわれる一角の更に裏路地にひっそりとあった。  一見して外観は普通の一軒家にしか見えないが、申し訳程度にかかっている「天野薬店」という古ぼけた看板がかろうじてそれと知れるものだった。  薬店の中は棚が一つ、カウンターが一つやっと置けるような広さで、奥は全部調剤室になっている。  一般の薬局には必ず存在する「清潔感」というものは、この薬店には皆無で、生薬と「朝まで元気!」と書かれた怪しげなドリンクやら普通ではあまり見ないような色の錠剤やらが、ほこりをかぶった状態で通路まで溢れていた。  そんな中、葵は朝から甘草を煮込んでいた。お客さん用でもなんでもなく、完全に自分用の煎じ薬である。  朝と言っても、場所柄この薬店の営業時間は22時~朝の5時、今は朝の5時にもうすぐなろうというくらいなので葵の感覚では深夜に近い。  もうお店を閉めて布団に入りたい気持ちでいっぱいだが、この時間は常連客が来るのを待っていた。 「やほ~、相変わらず暇そうだなここは、って、うへぇ~またこの臭い〜、俺この臭い嫌いなんだよ~、あおちゃん良く平気でいれるね 」 「こら、千尋。気軽に調剤室に入って来るなって何度言えば分かるんだ。嫌なら入ってくるなよ。 それに俺はこの臭いが大好きで、この臭いの為にこの薬店を継いだようなもんなんだよ。」  実際、それは嘘ではなかった。葵のような特殊な性の香りを打ち消す効果があるのだと、葵の祖父がよく甘草を煎じてくれた。 「だって、ここ調剤室のが広いし、涼しいし、椅子もフカフカだし、ずるいよ!俺さっきまで客が帰んないで尻がヒリヒリしてんだよ。フカフカの椅子に座らせてよ〜 」  そう言いながら許可もなく、葵のお気に入りの一番いい背もたれがついた椅子にドカッと座りこんだ千尋にため息をつきつつ、冷蔵庫から出した瓶に入っている小金色の液体を、ヤカンで少し沸かしてから蜂蜜を注ぐ。 「しょうがないな。保健所が来たら凶悪犯に脅されたって突き出すからな。 ほら、これだろ。」 「へへ、いつもあんがと。」  先ほどの液体を受け取って、千尋は美味しそうに飲みだした。  この液体は、葵が千尋用に作り置いてる煎じ薬だ。自宅で煎じるのが面倒だというので、葵が煎じておいてキープしておいてやってる。  千尋でも飲みやすいように、棗や枸杞子などの甘みのある生薬をふんだんに使って、最後に蜂蜜を入れてやる特別仕様だ。 「これのおかげで俺の発情期周期完璧じゃん? 薬のおかげで疲れもすぐとれるから発情期以外でお店に入ってる時は、バンバンお客さんとれるし。同じ店の子にすげえ羨ましがられる。 男オメガは妊娠適齢期が女オメガより低いから、子供欲しかったら今のうちに稼いでおかないとね。 俺も今のままトップはれるのなんて、あと一年かそこらだから…。」 「そうかもしれないけど、だからと言って今無理しすぎると、子供産むときも大変だぞ。 男オメガの出産はただでさえ体に負担がかかるんだ。 そんな目の下にクマ作って常に貧血みたいな顔してる奴が出産なんて、無謀すぎる。」 「大丈夫大丈夫。あおちゃんの薬飲んでから本当に調子いいんだ! このクマだって、たまたまさっきの客が絶倫すぎただけ!」  実際、男性のオメガの出産適齢期は女性よりだいぶ早い23歳までとされている。  オメガのホルモンがピークに達しているときに出産しないと、産後のひだちが悪く死に至るケースが多いらしい。  ただでさえ男オメガは発情期が不安定になりやすい。出産計画が立てにくいので、男オメガの大半は十代で結婚して早々に子作りをするケースが多いし国もそれを推奨している。  オメガは妊娠率が高い為、少子化対策の一つなので、税金をたっぷりつかって国をあげてアルファとのマッチングを行っているのだ。  またオメガとアルファが一度番うとオメガは番ったアルファ以外に誘引フェロモンを出すことが無くなるため、不幸な性犯罪防止の為にも学生のうちに経済力のあるアルファと番う者が殆どだ。  ただしそれはきちんと税金が払えている家庭のオメガに限った話だ。  税金が払えないような家庭に育ったオメガは、そもそも国から貰えるオメガ専用のコードナンバーも発行されない。  98%が裕福層のアルファとはなんの接点もなく育ち、アルファとの出会いなど夢のまた夢。  そんなオメガは闇オメガとして、身体を売る事が殆どだ。  発情期に理解がある職場など限られているし、オメガは見目麗しいものが多く、性交に適した身体なので、日に何度も稼げるのでそういったお店もオメガを大事にするし、需要も多いので給料もなかなか高いのだ。  こんな片田舎でもオメガの専門店が存在して、風俗店の中でも高級店の部類だ。千尋が在籍しているのは男オメガ専門店のお店だが、そこも連日予約でいっぱいらしい。  短めのホットパンツの下にすらりと伸びた足を無造作にぷらぷらさせて、ふわふわで淡い髪色の長めの前髪をピンでとめている。  どんぐりのような瞳でキョロッとこちらを上目遣いしてくる様は十代と言っても差し支えないが、千尋はこの間の2月で22歳になった。今は6月なので、出産年齢的にはかなりギリギリといえた。 「店の子にもこの店教えてあげたいんだけど、あおちゃん嫌がるんだもんな。 あおちゃんの漢方薬クソ高いけど、その分めちゃめちゃ稼げるからいいんだけどなぁ。 当の本人が全然やる気ないんだもん。」 「あたり前だ。前にも言ったが紹介してくれるなら本当に体調悪くて困ってる奴だけにしろよ。俺はこれ以上客を増やしたくないんだよ。」
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