現在

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 ピッチャーが振りかぶり、小さな体を目いっぱい使って大きく踏み込んだ。手からボールが一直線に放たれる。しかし、そのボールはミットに収まることはなかった。  カキーーーン  見事なまでに綺麗な音。野球で一番かっこいい音。逆転サヨナラホームラン。  白い玉が青空に放物線を描く。俺はその玉を追いかけていると、急に目の前に明日香の顔が現れた。  唇に唇が重なる。キスされた。  脳内にもう一度カキーーーンという音が再生される。これはあの日聞いた音だ。数秒ほどだろうが、永遠の時間に感じられた。明日香はゆっくりと唇を離す。 「私の止まった時間は私が進めるの」  俺は茫然としていた。明日香の言葉が耳に入らない。    グランドにいる息子がガクッと崩れ落ちた。俺の方を見ている。逆転ホームランを打たれた上、親の浮気現場を見てしまったのだ。そりゃ崩れ落ちるだろう。 「ワ゛ーーーー」悲鳴なのか歓声なのかわからない声の中に妻の声が混ざっている。  俺は憧れていた音にもう一度絶望した。
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