chapter,1

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chapter,1

* long long prologue / Sadayoshi Moromizato *  無意識のうちに身体が動いていた。兄のように慕っていた彼から、目の前に迫り来る真っ赤な乗用車を斥けるために。  精一杯のちからで、彼を押しやった。 「小手鞠!」  けれどもちいさな身体はあっけなくはね飛ばされて宙を舞う。濃紺のセーラー服を着た少女が頭から地面へ墜落していく。  目撃者の悲鳴と、ぐしゃりという不快な衝撃音。同時に黒板にフォークをつきたてて引っ掻いたときに鳴り響くような不協和音が世界を覆う。それが車のブレーキの音であることすら、自由(さだよし)には理解できなかった。  目の前の光景を嘘だと、夢だと思いたかった。  いつもふたりで通るアスファルトに血溜まり。胸元を飾っていた真っ白なリボンタイは禍々しいほどの臙脂へと色を変え、触れたらとけてしまいそうなふわふわの黒髪にはべったりと血が付着している。とくとくと流れ出る赤い液体をとめようと、彼ははね飛ばされた少女の前へ駆け込み、着ていたジャケットを脱いで止血を試みる。麻でできた萌黄色のジャケットはみるみるうちに赤黒く染まっていく。  無力だ。たとえ救命処置についての知識を知っていても実践できるわけではないと自由は思い知る。ぎりぎりと歯を食いしばる。悔しい。なぜ彼女がこんな目に合わなければならない?  少女の名を呼ぶ。小手毬、何度も何度も何度も呼びかけても、彼女は応えない。頭を強打したのか、ぴくりとも動かない。けれど、素人がむやみに動かすものではない。
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