第三章 その女、凶暴につき #34 戦士の来訪

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第三章 その女、凶暴につき #34 戦士の来訪

 二〇時二四分。  見送りの里沙と駅へ向かう道を歩いていたところで、千穂実のスマホに護身術教室の講師からメールが届いた。 「え、マジ?」  その内容は、護身術教室を一二月いっぱいで終了するというものだった。講師の両親が相次いで倒れたため、九州の実家に帰らなくてはならなくなったらしい。 「どしたのチホミン」  千穂実は里沙にメールの内容を話した。 「えーっ、それは残念だね!」 「事情が事情だから仕方ないけど、先生いい人だったし、楽しかったのになあ……」  筋がいいと千穂実を褒めてくれたのもこの講師だ。すっかり嬉しくなり、後日、緑川家での演習中にシルバーブレットに自慢したものの、完全に無視されたのは癪だったが──そもそも、この無愛想男が千穂実を褒めた事などほとんどない──単なるお世辞で言ってくれたのではないと千穂実は信じている。 「それじゃあ他の教室に通うの?」 「どうしよっかなー。まあ、技ならシルバーブレットが教えてくれるし、新しく何処かに通う必要はない気もするんだけどね。でもどうせなら、わたしの実力を正当に褒められたいし?」  千穂実がおどけたように言うと、里沙は「確かにそうだね」と微笑んだ。 「そういえば、料理教室の方はどう?」 「実はあたしもさ、今年いっぱいでやめるつもりなんだ」 「え、何で」 「来年から内容がガラリと変わるらしいんだ。初心者向けの和食と中華を習いたいから入会したのに、今後は各国の凝った料理をメインにやっていくみたいで。それはまだいいんだけど、併せて料金も高くなるし、だったら無理にはいいかなって」 「家族に教えてもらわないの? お母さん料理得意でしょ」 「まあ、本当はそれがいいんだろうけど……」里沙は苦笑しつつかぶりを振った。「ママもおばあちゃんも教え方が独特過ぎて、かえってややこしいの」 「え、それどんな風なのか凄く気になるんだけど」  駅前で千穂実と別れると、里沙は元来た道を戻った。  ──あ、チホミンにお土産持たせるの忘れちゃった。  数日前、父親の仕事の取引相手が緑川家にやって来た際、某高級店の洋菓子の詰め合わせを土産にくれた。千穂実に渡そうと、事前に可愛いデザインのギフトボックスに入れて用意していたというのに、すっかり忘れていた。  ──まあいっか、明後日泊まりに来る時でも。  坂道を上り、自宅のある高級住宅街に差し掛かった時だった。慌ただしい足音と共に、一人の小柄な男が住宅街の最初の角を曲がってこちらに走って来た。両腕をバタバタさせるような走り方は少々滑稽だが、まるで化け物にでも遭遇してしまったかのような恐怖に歪んだ顔に、里沙は不安を覚えた。 「どけっ!」  すれ違いざま、男は里沙を押し退けるようにして駅方面へと去って行った。 「……何よ、失礼ね。自分がちゃんとどきなさいよ」 「本当だな」  里沙は色んな意味で驚いた──独り言に返事があり、それはすぐ近くから聞こえ、更にその声の主が意外な人物だったからだ。  男が走って来た方へ向き直ると、歩道のケヤキ並木の間に、別の男が立っている事に気付いた。黒色のボディスーツにグローブ、ブーツ、ドミノマスクという姿。そして手にしているのは、一メートル以上はある長い棒。  ──礼人君。 「どうして……ここに」里沙は小さな声で尋ねた。 「この辺一帯を見廻っていたら、留守中の住宅に侵入しようとしている男がいたから声を掛けた。そうしたら逆上されたんで、ちょっと懲らしめてやったんだよ」 「そ、そう……」  それから数秒間の沈黙が続いたが、クリーガーの方から破られた。 「わかってんだろ、俺の事」  その静かな口調にはどんな感情が込められているのか、里沙には判断が付かなかった。 「俺だってある程度はわかってるんだぜ、緑川。例えば……キャンディスターの正体が、神崎(かんざき)だって事とかな」  里沙は肯定も否定もせず、真っ直ぐクリーガーを見据えていた。 「あー……そんなに警戒するなよな。別に脅迫しているわけじゃないんだぞ」クリーガーは苦笑した。「俺はただ、あの人──シルバーブレットと共に戦いたいだけなんだ」 「……どうしてチホミンがキャンディスターだと思うの?」 「何処かで見た事があるような気がしてな。意識して低めにしていたみたいだが、声も聞き覚えがあった。それに、アメコミという単語が出て来たのも引っ掛かった」 「へえ……」  ──チホミン、もうちょい注意してよね……。 「聞かないんだな……〝キャンディスター〟の意味を。一般人だったら知らないはずだぜ。シルバーブレットの相棒の名前だって事も、その存在すらも」 「……あんた、本っ当に性格悪いよね!」  クリーガーがニヤリと笑うと、里沙は詰め寄った。 「ねえ、どうして? 前々からあたしには、なぁ~んか嫌な態度取るよね。あたし、あんたに何かしたっけ? 全然身に覚えがないんだけど。まさか前世で親の仇だったりしちゃうわけ!?」 「……マジで全然覚えていないのか?」 「は?」里沙は目をパチクリさせた。「え、本当に前世で──」 「(ちげ)ぇよ」 「えー、じゃあ何よ。一年の時はクラスが違ってほとんど接点なかったから、二年からだよね……うーん……あ、すれ違いざまに肩がぶつかったとか?」 「ああ、もういい」クリーガーは手で蝿を追い払うような仕草をした。「もう帰んなよ。あんたん()、この一番奥だろ」 「え、家まで知ってるの? あんた、どれだけあたしに興味津々之助なわけ? もう、そっちから面と向かって聞いてくれれば、あたしから色々と教えてあげ──」 「行った事あるから知ってんだよ!」 「──へっ!?」  里沙はあんぐりと口を開いたまま固まった。 「え……来た事ある……?」 「小五の時だ。……あんたが覚えていなくても、俺はちゃんと覚えている」 「嘘でしょ!?」 「嘘じゃねえ」  クリーガーの口調がどこか悲しげに聞こえ、里沙は胸の奥に僅かな痛みを覚えた。 「やだ……あたし全っ然覚えてないや……」 「ま、仕方ない。記憶力が残念過ぎるあんたのために、ちゃんと説明してやるよ」 「それはどうも!」  ──やっぱりこいつムカつく!  里沙は、この生意気な戦士はいずれ必ず頭グリグリの刑に処してやると決めた。
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