じごくのはじまり

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コンコン 「あっ…」  やば、思い出に少し泣いてた。 折角の化粧が台無しになるとこだった。 人差し指の先で滲んだ涙を拭う。 眺めていた古い家族写真を一旦閉じてノックしたクラブのオーナーの方を見た。 「リーコちゃん、6番ついて。」 「はい、分かりました。」  痺れる足を叱咤激励して立ち上がる。 仕事中なんだから、泣いてる場合じゃない。 オーナーの立ち去った控え室の扉を開けて、華やかなクラブ内の絨毯を踏み鳴らす。  6番、6番…げげっ。 分かっていたことだけど絶望した。  璃子をヘルプで呼ぶのは必ずお山の大将、いやチーママの鬼原さんなのだ。 当然お客様の隣には取り巻きの島原と桃原も居る。この席に座るのが人生で一番嫌。 でもお客様には楽しんでって欲しいから。 飛びきりの作り笑顔を振りまいた。 「リーコでーす!いらっしゃいませ!」 「リーコちゃん木原さんの隣行きなよ!」 「ヒューヒュー!」 「でゅ、でゅふ…」  馴染みの酔っ払い太客が囃し立てる。 うーわ、やだなあ。あいついつも尻触るから生理的に嫌なんだけど。お仕事だから渋々席に着く。笑顔は絶やさない。 「あ、お飲み物お継ぎしますね~?」 ボトルに触れる前に別の男に牽制された。 「やめろよ不潔ブス。ミナちゃまから聞いたぞ?お前の家不衛生過ぎてバッグから虫が湧いたんだってな!」 「酒が不味くなる~!」 「ゲロゲーロ~」 「何も触るな!息もするな!」 「…あははっ、すいませーん。」  怒鳴り声の勢いで顔に唾を飛ばされたって笑顔で謝罪。お前らの仕業だってのにもうチクったかこいつらは。ってお前はもう尻を触るか。 「ミナ、びっくりしたぁん。」  おっと出たゴロニャンミナちゃま33歳。 イタさに気づいて欲しいものだ。 「ミナちゃまはいい匂いするし、絶対虫とか縁がないよなー。」 「そんなことないお?たまに虫出るけど彼ぴがやっつけてくれるもぉーん。」 「あの~、リーコもドリンク頂いてもいいですか?」  どうやらタイミング悪かったらしい。ミナちゃまを愛して止まない男の反感を買った。 「ああウザイよなお前。なんで生きてるの?そんな飲みたいならこれ飲めよ!」 「きゃっ…!」  飲みかけのグラスを顔に掛けられた。 目にアルコールと化粧が沁みる。いたたっ。 思わず声を上げて立ち上がると流石にオーナーが駆け寄ってきた。 「お客様、お店の子にそういうことは…!」 「ごめんごめーん。手が滑ったー。」 「大丈夫だよね?リーコちゃん。」 「怒ってないもんね?リーコちゃん。」 「………。」  私…何て言ったらいいのよ。どーせなんもかんもこいつらに操られてるんだけど。ここに私の味方は誰一人いないんだから。  噛み締めた唇の隙間からかろうじて音を漏らす。 「…大丈夫でーす。」 「だよねー!」 「あひゃひゃっマジのドMだったわ!」 奴らは猿山みたいに騒いでる。ムカつく。 本当はすごく、ムカついてる。  流石にドレスが濡れたのでヘルプは外してもらえた。控え室に逃げ込むその時まで6番テーブルは璃子を馬鹿にして笑う声で盛り上がっていた。 パタン 「………。」  ああ、どうしよう。 またクリーニング出さないと。 感情を殺した頭でそんなこと考えてた。 やられたことの意味を考えていたら今度こそ完全に壊れてしまうと思うから。  急いで別のドレスに着替えたけど結局その日は待機のままだった。いつもどおり。
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