序章 『鳳凰』

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 静寂(せいじゃく)()()ちた部屋。  視線を落としたまま微動(びどう)だにしない女性の表情は(けわ)しく、(じつ)に無感動なものだった。  燭台(しょくだい)の置かれた(まる)テーブルの上、目一杯(めいっぱい)広げられた地図に落とす(まなこ)は、大空を舞い、風を抱き込む(たか)眼下(がんか)に広がる樹林(じゅりん)俯瞰(ふかん)する(さま)を思わせる。  しかし、彼女の肩書きは鷹ではなく、霊峰(れいほう)より舞い降りるとされる鳳凰だった。若い女性だけで構成され、諜報(ちょうほう)活動を主に行う鳳凰隊。その隊長である彼女の飛ぶ高度は、鷹の()ではない。  より広い、より正確な視界を求められる。  とはいえ、今は夜半(やはん)。色鮮やかな羽をひらめかせ地上に縛られる物達を魅了(みりょう)するとされる鳳凰に比べれば、レースをあしらった乳白色(にゅうはくしょく)のナイトガウンを羽織(はお)っただけの彼女は(きら)びやかさを欠いていた。  (なま)めかしくはあったが。  自然体(しぜんたい)で筆を置き、すっとまっすぐ下に払ったらこんな線になるのではないだろうか。彼女、シュルートの立ち姿である。  長い間、びっしりと文字の書き込まれた地図を眺めていたが、つい、と に人差し指を当て、深いため息をついた。  テーブルの上に置いてあるハンドベルを鳴らせば、リン、リンリン、と柔らかな音色(ねいろ)が響き、追いかけるようにドアをノックする音が続く。 「お呼びですかぁ? シュルート様ぁ」  入ってきたのは髪をツインテールにまとめた少女。  何とも緩んだ声の持ち主だった。時間帯は確かに遅いが、間延(まの)びしている理由はそこにはない。単に彼女、ケイナの口癖である。 「遅くにごめんなさい、ちょっと見てもらいたくて」 「いえいえ、構いませんよぅ。部屋の見張りはつまんないですからぁ」  カチカチと軍靴(ぐんか)を鳴らして、テーブルに寄る。  声も雰囲気もまったりとしているが、彼女もれっきとした鳳凰の(ひな)(鳳凰隊は隊長のシュルートを親として、部下を雛と呼ぶ風習があった)。赤を基調(きちょう)とする装飾性に()んだ鳳凰専用の鎧に身を包み、腰にはレイピアを(たずさ)えていて、身なりは軍人(ぜん)としている。  テーブルに近づいてくるケイナ。対して、シュルートはなぜかケイナの後ろに回った。 「髪、鎧に引っかからない?」  肩を越えて落ちる双流(そうりゅう)を手に(すく)い、柔らかく尋ねるシュルート。  ああっ、と声を上げて慌て始めるケイナは、指摘されて初めて自身の格好を思い出したらしい。 「ご、ごめんなさいですぅ。今日はオフで、夕方代わるときに忘れて――」  軍務中は髪を(まと)め上げる事と規定にある。今夜は宿舎(しゅくしゃ)内にある鳳凰隊隊長(みうち)部屋の見張り番だったとはいえ、軍務中に変わりはない。髪を手に取られて、振り返ることも出来ないまま、ケイナは慌て始めた。 「別に良いわよ。私の部屋の見張りぐらいは好きな格好で」  これが済んだら今日は休んでいいわ、私もこれで寝るから。  そう言って、彼女の少し癖のあるツインテールを(ほど)くシュルート。ふわりと広がった髪を、手慣れた感じで()いていく。  随分昔から髪を短くしたままのシュルートが長髪の扱いに慣れているのは、事ある(ごと)に部下の髪をいじり回していたからに他ならない。
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