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ここ群馬県山の上村にある山の上小学校に赴任して二年目の七月のことだった。
私、山浦亜紀三十二歳は、六年生の担任をしている。
この学校の子達は、思春期を迎えている六年生も反抗期など一切なく素直でいい子達だ。だから楽しい毎日を過ごさせて貰っている。
午前中のちょうど半分が過ぎ、二十分の長休みの時間に宿題の丸つけをしていると、おませな女の子三人組が私の所に寄ってきた。
六年生ともなると女の子達は一丁前にガールズトークをしようとしてくる。
クラスで一番のお洒落さんである奈美ちゃんが話しかけてきた。
「亜紀先生、役場に村長の息子さん入ったって知ってる?」
私は思わず丸をつける手を止めた。誰かとこの話をしたかったのだ。
「見た、見たよ。あの金髪の人でしょ?役場なのに金髪って凄いよね」
食い気味に話す私とは正反対に奈美ちゃんが小さな声で言った。
「うん、お母さんが流石村長の息子って言ってた」
賢い子なのでこの話は小声で話す必要があるとわかっているようだ。私も小声で話そう。
「やっぱりそう思うよね。先生も村長の息子は待遇違うなって思ったよ」
特技がフィギュアスケートで全国の大会にも出場している由紀ちゃんが言った。
「あの人ねミュージシャンになりたくて、高校卒業してから東京に行ってたんだけど、売れなかったから今年潔く諦めて帰ってきたんだって」
村一番の建設会社、山の上建設のご令嬢の紗理奈ちゃんがもっと小声で
「ダムのこともあるから」と囁き、三人で「ねぇ」と顔を見合わせた。
私は教師として慌てて三人を静止した。
「ちょっと、デリケートなことだからダムの話はしちゃいけないよ」
そう言うと三人は小声で「はーい」と言った。
実は今、ここ山の上村ではダムを巡って村を二分する争いが起きている。
早い話がダムの存続か廃止かで揺れているのだ。
ダムは東京の電力会社のもので、東京の電気を作り、その代わりに多額の税金を村に落としている。
その恩恵を目に見えて感じている人達と感じていない人達で揉めているのだ。
ダムの存続派は現村長派で主に昔からこの村にいて、名産品のレタス農家や建設業関係、公務員関係の家が多い。
ダム廃止派は前村長派で主に隣の町や市に働きにいってる人達や、最近、前村長の自然暮らしに憧れて移住して来た人達だ。
特に全国的な公共事業削減ブームも彼らの追い風となっている。
以前はそうは言ってもダム推進派が一大勢力だった。
けれど前村長が大きなアパートを何棟も建て、そこに自然派の人達が大量に移住して来てから、何かが少しおかしくなってしまった。
ダムなんて人工的な物は要らない、昔ながらに自給自足生活を送ろうと、そのアパートに住む人たちは呪文のように唱えている。
それを自分たちだけで完結するなら別にいいのだが、他人に強制しようとする面もある。
その結果、段々とダム廃止派が増えて来てしまった。
秋に村長選があり、そこで決着がつくそうだが今まで圧倒的に有利だったダム賛成派が苦境に立たされているのだ。
私個人的な意見としては、ダムは賛成派だ。
下流域の水害の備えにも有効だし、税金を沢山収めてくれているおかげで公共施設も立派だし、色んな補助も手厚い。
特に子育て世帯には色んな補助があり、所得が水準に満たない世帯には、さらに補助を出してくれている。
ダムのお陰でこの村は、子供は村の宝だといえる余裕があるのだ。
だからか子供達はみんなのびのびと元気に暮らしている。
なので私はダムは廃止にしない方がいいと思う。と言っても私は麓の市のアパートに住んでいる部外者なので、ダムについては明言を避けている。
そして村を二分するということは、保護者も二分されているのだ。
この三人はダム推進派のお家でまとまっているからいいけれど、推進派と廃止派で子供同士が仲良い子達は、親から「あの子とは遊ぶな」と言われつらい思いをしている。
子供の仲を引き裂くほど、村では二つの派閥の亀裂は深刻なのだ。
三人は気を取り直したようで、奈美ちゃんがニコニコ顔で言った。
「斎藤さん30歳で、先生32歳でしょ。お似合いだよ!」
三人はまた勝手に私の恋人候補を探してきたようだ。
「ちょっと待って!先生もう32歳なの、付き合う人は結婚を必ず意識しないといけない年齢なんだよ」
紗理奈ちゃんが不思議そうに言った。
「じゃあ結婚すれば?」
「村長さん、この間新築して大きな家建てたばっかりでしょ?万が一結婚したら同居しないといけないわけ!同居はなしだって、同居って、今まで自由気ままに生きてきた私にはつらいんだよ」
小六はみんなポカンとしていた。同居の大変さを説いても、どうやらまだピンと来ないようだ。
斉藤さんとは喋ったこともないけれど、勝手に私の結婚相手にされ、ガールズトークのネタにされている。
斎藤さんごめんなさい。
後は積極的に話に参加するのはやめ、丸をつけながら彼女達のガールズトークに適当に相槌をうっていた。
放課後、風通しが悪く汗ばむ職員室でハンカチで汗を拭っていた。
ふと、一ヶ月後の八月下旬から始まる「役場でお仕事体験」の打ち合わせをしなければならないことを思い出す。
学校の隣の隣にあるというか、ほぼ併設されている役場の総合受付に電話をかけた。
「いつもお世話になってます、小学校の六年の担任の山浦です。夏休みのお仕事体験の件で電話しました、今年担当者ってどなたになりますかね?」
そう尋ねると総合受付の人に「少々お待ち下さい」と言われ、保留のボタンを押された。
いつ聴いてもやけに渋い山の上村歌を聴きながら待っていると急に村歌が途切れた。
「もしもし、今年新しく担当になりました斉藤です」
もしかして噂の斉藤君かもしれない。たいていの村人とは言葉を交わしたけれど、初めて喋る村人だからそう思った。
「私六年の担任の山浦と申します。今年もお世話になります。お忙しい中申し訳ないんですが打ち合わせをしたくてお電話させていただきました。今お時間大丈夫でしょうか?」
「亜紀先生、打ち合わせなんですが、もし良かったら、共有スペースでやりません?顔見た方が話し易いし」
彼は他の村人が呼ぶように、私を亜紀先生と呼んだ。
村人から「32歳にもなって結婚してない、恋人もいない変人」っていういつもの私の悪口を吹き込まれてるに違いない、仕方ないけど。
「いいんですか?私もその方が有難いです。じゃあ今から共用スペースに行きます」
共用スペースとは学校と役場の間にあるコミュニティセンターの一階にある談話スペースのことだ。
電話を切ると慌ててメモ用紙と筆記用具、去年の要綱を持ち共用スペースへと向かった。
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