スカウト

1/1
前へ
/15ページ
次へ

スカウト

水曜の夜、クラスの男の子にお勧めされたゲームをしていると突然玄関のチャイムが鳴らされた。 二人の弟、健(けん)と智(さとし)が来たかな思いながらドアを開けるとやっぱりそうだった。 二人とも私と10歳離れている22歳で同じ老人ホームに勤めている。健はイケメンで背も181センチある。人に対してかなり気を遣う繊細な一面もある。 それに対して智はお世辞にもかっこいいとは言えない。お馬鹿だし、身長は168センチ。髪型をセットするのが面倒くさいと坊主頭がトレードマークになっている。 そして智は正真正銘の弟なのだが、私と健は血が繋がっていない 何故かわからないけれど、健は赤ちゃんの頃から家にいる。なので血がつながっているとかつながってないとか、そんなことはどうでもよく、些細なことであり健は私の弟だ。 健と智は「ただいま」と言って部屋に入ってきた。父は私が18歳の時に女と逃げ、母は二十歳の時に亡くなったから、実家はもう処分してしまった。なので私のいる所が彼らにとって実家みたいなものだ。 二人は勝手に入って来て、座ると智は寝転がり、健はベッドに寄りかかった。 「水曜に来るなんて珍しいね」 そう言うと智が深刻な顔で坊主頭をボリボリ掻きながら言った。 「実は芸能事務所にスカウトされちゃったんだよ」 「はぁ?あんたなんかスカウト来るわけないでしょ?どうせ高額の入会金が必要だとか言われるから。それ騙されてんの!」 健が「違うよ、こいつじゃなくて俺に話が来たんだよ」と訂正した。 「入会金は?」 「入会金とかお金払う必要はないらしい。寮があるからそこで暮らして、俳優の勉強をするらしい」 健が不安そうに言った。 確かに健は小学校の頃からモテていた。 中学になると他中学からの見学者もいたし、高校になると更に拍車がかかり、家にまで抱いてくれ的な手紙を持ってくる子も多数いた。この子ならなくはない話だ。 「街歩いてたら声かけられたの?」 智が自分のことのように説明し始めた。 「違うよ、木原さんって優しいお婆ちゃんが俺達が働いてる老人ホームにいて、俺そのお婆ちゃんに気に入られてたんだよ。それでそのお婆さんに会いに来る息子さんがいて、 先週の土曜日に俺たちその息子さんに食事に誘われて行ってみたら、俳優目指して芸能事務所入んないかって言われたの。 俺、即答で「入ります」って答えたら、「君はいい、健君のことだ」って言われたんだよね」 智はそう言って自虐的に笑った。 「ならまだ信用できるか、名刺とか貰った?」 健が鞄から一枚の名刺を出した。 木原プロ代表取締役 木原 一郎 「この木原一郎さんが代表なわけね、他に所属タレントいるの?」 智が意気揚々と「まぁまぁ有名な人はいるって言ってた」と教えてくれた。 スマホを取り出し木原プロをネットで検索した。 「木原プロって結構有名な人いるじゃん。事務所はまともそうだし、健はどうするの?やりたいの?」 すると健は私から視線を逸らしテレビを見た。 「今迷ってんだよね、やりたい気持ちもあるけど、大丈夫かな?できるかな?って今の老人ホームも結構福利厚生が手厚いし辞めたくないなとか、今付き合ってる彼女どうすんだとか、折角、亜紀が専門学校入れてくれてたのになとかさ」 智が突然泣き始めた。 「俺は東京に行って欲しくないよ、健とずっと一緒だったから寂しいよ」 智と健は同じ保育園小学校中学高校、専門学校に同じホームに勤めていて、アパートも同じ建物内の違う部屋に住んでいる。二人はずっと一緒だったのだ。 でもこれは健の将来とは関係のない話だ。 「智の気持ちは今どうでもいいから!とにかく、健がやりたかったらやればいいし、そこまでじゃないんならやめたほうがいいと思う。あの業界厳しそうだし」 「そうだよな」と健はまた言った。 健は私に強く背中を押して欲しかったのだと思う。小学校の頃、卒業文集の将来の夢に「俳優」って書いていたから。 でも、この子が芸能界でやっていけるだろうかとか、折角就職できた今の仕事場辞めさせてもいいのだろうかとか、余計なことばかり考えてしまう。 心配性の本人も同じ事を考えているだろう。 健の本当の親は健に興味が一つもない。だから母が亡くなってからは私が母代わりをしてきた。 あの子の背中を押すのも私しかできないだろう。 けれど……どうしたらいいのだろうか。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加