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人蔵家の現当主は、チエちゃんの祖父である人蔵浪江さんと仰る方だそうで、御年九十五、今は麓の村から二十キロも離れた町の施設に入っているという。浪江さんの三男がチエちゃんのお父様で、名を吾郎さんという。しかしこの吾郎さんは、チエちゃんの手紙にもあった通り、既に鬼籍に入られている。吾郎さんの奥様でありチエちゃんの母・小巻さんは、女手一つでチエちゃんを育てながら、少女を襲う謎の奇病にかかる治療費を捻出する為、昼夜問わず働きに出ているそうだ。当然、チエちゃんの入院するR医大病院のある東京へと住まいを移し、現在人蔵家は無人であるという。
「当主は、浪江翁のままですか」
と三神さんが問うた。当主を務めるにはかなりのご高齢である。長男や次男はどうしたのか、もしくは吾郎さんの奥様はどういう立場なのか。僕は立ち入ったその質問にヒヤリとしながら、前を歩く武田さんの背中を見上げた。
「まあ、古い村ですから。そこらへんの事情は浪江さんの考えが強く反映しとるのでしょうな。ただあれですよ、決して小巻さんが迫害されとったとか除け者扱いされとったっちゅう話じゃないですよ。東京におらさるんなら直接聞けば分かるじゃろうけど、他所から嫁いできた自分にも良うしてくださると、御家におった頃からよう言うてらしたもんよ、ええ、小巻さん自身がね」
長男と次男の話題には、武田さんは全く触れようともしなかった。
「はあ」
そうですか、と三神さんは含みのある苦笑を浮かべ、深く追及はしなかった。
山の中腹から徒歩で登り始め、諸々含めて一時間以上は歩いたと思う。やがて到達した頂上は開けて平らな土地に均されており、そこに建っていたのは確かに木造平屋の一軒家だった。霧が出て湿気が酷いため、檜の木材を用いた上に更なる防湿効果を狙って黒く墨塗りが施されているという。視界に入る部分は全てが黒く、古い家という割にはどこか近代的に見えるのはその為だろう。しかし街灯もないこんな山奥では、夜間ともなれば視認することなどほぼ不可能だと思えた。
印象としては、大きいというよりも横に長い家、である。
「今日はもうお役目を終えたばかりですんで、私は外で休んどります。簡単に見つかりゃあええが、日が暮れると戻るのも一苦労するで、気をつけて下さいや」
武田さんに鍵を開けてもらい、僕たちは礼を述べて人蔵家に足を踏み入れた。
人手に渡ったわけではないが、空き家には違いない。電気が止められているのか、そもそもここまで来ていないのか分からないが、持参した懐中電灯でどれだけ探しても室内灯のスイッチは見つからなかった。
「暗い、ですね」
と言うと、
「そういうもんよ」
と三神さんは答えた。
「……どういう意味ですか?」
と問うと、ふふ、と彼は笑った。
腕時計で確認すると、まだ時刻は午後二時半である。屋内とは言え山の頂ともなれば暗いわけがないのだが、窓もほどんどが戸板で覆われており開かない。空気を入れ替えるために武田さんは訪れているのだから、家の中のどこかが開いて明かりを取り込む方法があるはずだった。今さらながら、事前に確認しておかなかったことを後悔した。
「確かに、綺麗にはされていますね」
玄関の土間から懐中電灯で室内を照らすも、光のトンネルにはほとんど埃は映らなかった。それどころか、必要な家具を持ちだした後なのだろうが、物が極端に少ない印象だった。三神さんの懐中電灯が家の奥を照らす。
「外観から見てこの玄関よりひとつ、ふたつ、みっつほど部屋が並んでいるようだ。この廊下を通って、手前が炊事場、奥が厠だろうか」
「確かに、武田さんの言う通り二階なんてありませんよね。天井が高いですから、屋根裏があってもよさそうなものですが」
懐中電灯を上にむけると、太い梁が横に二本渡されているのが目に入った。鼠が横切ることもない。人の出入りがほとんど無い家だけあって、この世ならざる者の気配は感じなかった。
「とりあえず、見て回ろうか」
三神さんの提案通り、廊下を通って各部屋を調べた。横一列に並んだ、ひたすら広い和室である。見るべきものはいくつもなく、襖を開けて空の収納スペースを確認するのがほんのり怖かっただけである。
「隠し階段のようなものも、ないな」
と三神さんも肩を落として溜息をついた。
「さっきのぶっとい梁に登ると、なにかあるんでしょうか」
「お前さんが登ってくれるのかね」
「高所恐怖症なんです」
「知っとるよ」
それとて妙案には思えなかった。
サイジョウ階、とチエちゃんは手紙に書いた。十六歳ともなれば最上階など難しい漢字でもないだろう。そこに隠された意味があるのだとして、しかし現場を見る限り何も発見出来なかった。
「朱色の風車、か。あればすぐに目につくだろうにな」
そう呟く三神さんに続いて、
「サイジョウ階。……どういう意味でしょうね」
と聞いてみた。
「あえて隠すことに、理由があるのだろうな」
「誰に隠すんです。僕らは依頼されて風車を見つけに来たんですよ?」
「……そこだろうねえ」
「あ」
ピンと来るものがあった。本来チエちゃんにとっては、僕たちよりも先程出会った武田さんの方が近しい関係者である。だがその武田さんにこそ知られてはならない秘密が人蔵家にはある、ということなのではないだろうか。人蔵家の私有地を訪れるにあたって、チエちゃんの書いた手紙は最も効力を発揮した。しかしその手紙を武田さんが読むであろうことを想定し、チエちゃんは敢えて分かりにくい文章を書いたのではないか……。
「もう少しなにか……」
具体的なヒントはないものか、そう思いながら懐中電灯を横に薙いで身を翻した時だった。
ギシィ。
それは三つ並んだ和室の真ん中の部屋、畳を踏んだ僕の踵の下から聞こえて来た。
古い木材が軋んだような、畳敷きには不似合いな音だった。
三神さんと僕は顔を見合わてしゃがみ込み、指先で慎重に辺りを探った。
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