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 それは地下へと続く、ほとんど穴倉にしか見えない螺旋階段だった。  大人が横に並んで入れないほど狭い土壁の縦穴を、僕たちはお互いの存在を信じて下っていった。三神さんが先頭を歩き、僕はそれに続く。  正直、死ぬ程怖かった。単純に空気量に対する疑問がある。地下へと続く階段があまりにも深く長いため、途中、酸素が尽きたらどうなるのだとパニックに陥った。だが三神さん曰く、この階段を設置した人間がいるわけだから、少なくとも辿り着けない深さであるはずはない、とのことだった。言われてみれば確かにそうである。だが、言われなければ気付けなかったことだ。冷静になれば分かることでも、ひとたびパニックを起こせばなにも考えられなくなる、という良い例だった。  だがそれ以外にも、螺旋階段であるが故の狭さと急すぎる勾配が恐怖に追い打ちをかけて来る。恐怖で体力を削られ、膝に来る負担に精神力が削られた。右側の壁に手を添えながら懐中電灯を左手に持ち、反時計回りに回転しながら下へ下へと降りて行く。例えばこれがつづら折りのように切り返す地点が存在するなら話は別だが、代り映えしない土壁を懐中電灯で垂らしながら下るだけでは、あっと言う間に時間の概念が消え去ってしまうのだ。  何段くらい降りたのか、下り始めてどのくらい時間が経過したのか、いつの間にか全く分からなくなっていた。もちろん時計で確認すれば現在時刻は分かる。だがそういった、平等な時の流れが信じられなくなる程、僕たちの置かれた状況は異常だった。  なんなんだ、この階段は。  地下室を造るのはいいさ。  だけど長すぎる。  深すぎるだろう……!  疲労はやがて怒りに変わり、暑さ、暗さ、息苦しさ、出口の見えない恐怖に僕の全身は汗にまみれ、あまりの不快さに大声で叫び出したい心境だった。  しかし、前を行く三神さんがどこまでも冷静で、慎重だった。愚痴を零すこともなく、まるで自分の家のように淀みのない足取りで階段を下って行く。スチール製の階段らしいが、三神さんはほとんど足音を立てなかった。  いや……待てよ。前にいるのは、本当に三神さんか?  一瞬でも疑ってしまえば、もう駄目だ。僕は再びパニックに襲われた。 「み、三神さん」  思わず名前を呼んで確かめる。  だがしかし、 「三神さん?」  返事がなかった。  追い越したのか? いや、そんなはずはない。そもそも並んで歩けない狭さなのだ。全くお互いの体が触れ合うことなく追い越すなど、不可能である。まさか、この階段を降りているのは最初から僕だけだった、なんてことはないだろうな? 「みか……ッ!」  お……ー……い。  声か聞こえた。  僕は驚きのあまり足を止める。しかし膝に溜まった疲労が急ブレーキに耐え切れず、僕は投げ出されるようにしてつんのめった。段差に膝を痛打し、なんとか前に突き出した左腕も、前のめりに倒れた体の下敷きになって僕の胸を圧迫した。そのまま頭頂部を階段で強か打ちつけ、前後不覚に陥りながら地獄への穴倉をゴロゴロと転がり落ちて行った。  やがてドスンと腰から落ち、視界一杯に星が飛び散る。舌を噛み切らなかっただけマシだったが、全身至る所が猛烈に痛んだ。  一体なんだよ、何が起きたんだ。なんだったんだ、さっきの声は。  僕はゆっくりと体を起こし、手放してしまった懐中電灯を拾い上げて周囲を照らした。 「は……」  思わず息を飲んだ。  三神さんの背中が見えた。彼は僕に背中を向けて立ち、左手に握られた懐中電灯はだらしなくぶら下がり、足元を照らしている。僕たちはいつの間にか階段を下り切り、広い地下室へ降り立っていたのだ。僕は最後の数段を転げ落ちたが、少なくとも三神さんは自力でこの部屋へ辿り着いていたのである。  三神さんは、部屋に設けられた大きな窓の前に立っていた。木枠のついた、障子開きの窓から外を向いて立ち、無言で何かを見つめている様子だった。  見た所、部屋には相変わらず照明の類がない。しかし窓の外から入ってくる薄明かりに、物置のようなこの地下座敷のシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。畳敷きの部屋の壁際に、小振りの箪笥が幾竿も並んでいるのが見えた。  この部屋は一体、どんな目的で作られたというのだろうか……。 「三神さん、さっきから何を見……」  そう口にしかけた瞬間、僕の背中を強烈な悪寒が駆け上がった。  僕は何を言ってるんだ?  ここは果てしなく続いた階段を降りた先、地中深くにある部屋なんだぞ。   ……どうして窓があるんだ。  何が見えるっていうんだ?  なぜ、ぼんやりとした明かりが室内に入ってくるんだ……? 「三神さん」 「……新開の」  三神さんは振り返らずに呟き、そして言った。「ワシが見とるのは一体何かね。天国か。それとも地獄か?」  僕は三神さんの隣に立って、窓の外を見た。  窓にはガラスがはめ込まれていなかった。 「……あれは。一体なんだ」  ひとことで言えば、それは大きな赤い川だった。  それも僕たちの立っている場所から遥か遠く、眼下である。  僕と三神さんは二人して、遥か遠くに流れる赤い川を見下ろしているのだ。  川の周囲を巨大で真っ黒な岩々が取り囲み、空と思しき空間には一切の光がなかった。そしてその赤い川の畔には、無数の青い発光体が川辺で行ったり来たりを繰り返している。それらが一体なんなのか、何を意味しているのか、僕には全く意味が分からなかった。しかしそれは目だけでなく、心まで奪い取られてしまうような、この世ならざる幻想的な光景に違いなかった。赤い川はまるでそれ自体が命を持っているが如く、飛沫をあげながら大きなうねりを伴い、血のような濁流をいずこかへと運んで行く。  あれは一体、どこから来てどこへ流れつく川なのだろう。  いつまでも眺めていたい光景だった。  だが同時に、これ以上見てはいけないような、そんな気持ちになり始めていた。   これ以上ここであの川を見つめていたら、僕たちはやがて必ず、あの赤い川の流れる場所まで行ってみたくなるだろう。そんな気がしたのだ。
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