車内の殺意と脳裏の笑顔

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「何でお前みたいなヤツなんだ? 何でもっと殺したくなるような人間じゃないんだ? 俺は何の為に今まで……」  そう言ってタクシーから降りようとした瞬間、田崎に腕を掴まれる。 「竹内さん、あなた……死ぬ気でしょ」 「だったらどうした? 俺が抱いたあんたへの殺意は、美咲にも美香にも否定された。これ以上生きていても仕方無いだろう?」 「あなたを死なせません。あなたが何処かで死んだという情報が入れば、私も死にます!」 「何故そうなる? 俺が死んでも、あんたの人生は何も狂わないだろう?」 「私が死ねばあなたの狂っていた人生は元に戻りますか? あなたの奥さんと子供が泣いていたのは、私を殺そうとしたからじゃないと私は思います。あなたが死のうとしているからじゃないんですか? もし、あなたが私を殺して自殺をしようとした時、それを防ぐ為に同僚を近くに呼んでいます。娘には、私は事故で死んだ事にしてくれという内容も送りました。あなたがカッターを握っている時、私は片手で携帯を握っていたんです」  田崎は俺の顔の前に携帯電話を差出し、送信したメールを見せてきた。 「何故そこまで……」 「罪を償いたかったからです。酒を断ち、免許を取り直してタクシードライバーになったのは、帰るべき場所に一人でも多くの乗客を送り届けたかったからです。自分は幸せになってはいけない存在だと思って生きてきました。だから、娘の純粋な笑顔に対して、素直に反応出来ない自分が憎くて仕方ないんです」  田崎の言葉は、いつの間にか俺の殺意を完全に消し去っていた。大きく深呼吸をした俺は、再び後部座席のシートに腰を下ろす。 「俺の十五年は……一体何だったんだ。俺が苦しんでいた時、あんたも苦しんでいたなんて想像すらしなかった……」  そう呟きながら、ゆっくりと目を閉じる。  闇の中、美咲と美香は笑顔で手を差し伸べていた。 『慎吾さん、帰りませんか?』 『パパ、おうち帰ろ?』 「あぁ……帰ろう」  虚ろな目で無意識に呟いた俺の言葉を聴いた田崎は、静かに問いかける。 「竹内さん、あなたを家まで、送らせて頂けませんでしょうか?」  遺された人間に出来る事は何なのか、俺は十五年間気づく事が出来なかった。  生きる。  そのたった三文字の答えを、殺意の果てに見た三人の涙によって、俺はようやく気付くことが出来たんだ。
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