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その日の夜、伶は家政婦が作りおきしていた料理をレンジで温めて舞と二人で食べた。夕方に帰って来た時には二階にいた“あの男”はまたどこかに出掛けて行った。
子ども二人だけの夕食は寂しいだろうと、何も知らない大人は言うかもしれないが、伶にとっては舞と二人だけの時間が気楽だった。舞だけが伶の救いだった。
舞だけは、汚い世界にまみれることなく綺麗なままで、ずっと無垢なままでいてほしい。
風呂を沸かして舞を先に風呂に淹れ、風呂上がりの舞の髪をドライヤーで乾かしてやる。舞はもう眠そうで、ドライヤーの最中もこっくりこっくり、頭を垂らしていた。
「ただいまぁ」
ドライヤーの音に紛れて玄関から聞こえた声に舞がピクリと反応する。彼女はドライヤーをしてもらっているのもお構い無しに玄関に駆けいく。
「ママー! おかえりなさい」
「舞ちゃーん。たらいまぁ」
呂律の回らない赤い顔をした女は駆け寄ってきた舞を抱きしめて、舞の滑らかな頬に頬擦りしている。
「あー……伶、いいとこにいた。水、水ちょうだい」
『はい』
伶は玄関前で舞に抱きつく女に侮蔑の眼差しを女にくれて、引き返した。ふらふらとした足取りでリビングに入ってきた女に水を入れたコップを渡してやる。
この酔いつぶれている女の名前は明智京香。戸籍上は現在の伶と舞の母親だ。
「ママー。一緒に寝よぉよぉ」
「うーん……舞ちゃんはお利口さんだからひとりでねんねできるよね? ママはまだお化粧も落としてないからねんねできないんだよ」
28歳の京香は3年前に伶と舞の父親の明智信彦の後妻となった。伶と舞の母親は舞を産んでしばらくして他界。母親の記憶がないに等しい舞は京香をママと呼ぶことに一抹の躊躇いもない。
京香も血の繋がらない舞をそれなりに可愛がっている。だがそれはペットを可愛がるようなもの。
今はまだ舞が幼いからこそ成り立つ上部だけの母娘関係。いずれ舞が中学生や高校生になり京香の可愛いお人形さんではなくなった時には京香は舞を邪険に扱うかもしれない。
実の母の記憶がある伶にとってはこの若い継母を“お母さん”とは呼べない。最初から母親だとは思っていないし今もこれからもお母さんと呼ぶ気はなかった。
京香と一緒に寝たがる舞を伶は無理やり二階に連れていく。すでにもう眠気が襲っていた舞はベッドに入ると数分で寝息を立て始めた。
舞を寝かしつけて一階に戻った伶はリビングのソファーでだらしなく寝そべる京香の姿に溜息をつく。ソファーの下には京香が履いていたストッキングやスカートが脱ぎ捨てられ、派手な色のブラウスも胸元がはだけていた。
『大人なんだから服は脱いだら片付けてくださいよ』
「わかってないなぁ。大人だから片付けられないのよぉ」
まったく意味のわからない言い訳だ。
『風呂、入りますか?』
「伶まだなんでしょ。先に入っていいよ」
ソファーからひらひらと京香の片手が挙がる。伶はまた溜息をついて、散らばる京香の服を集めて脱衣場の洗濯カゴに投げ入れた。
伶も服を脱いで浴室に入った。舞が遊んだ後の亀のおもちゃが湯船に浮いている。ピンクの亀は側面のネジをまくと自動で走る仕組みになっていて、舞はいつもこれを湯船に入れて遊んでいた。
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