Act3.恋蛍と少女

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 高校の正門を出た神田美夜を九条大河が待っていた。路肩に停車する車に戻った彼女は浮かない顔でシートベルトに手を伸ばす。 『西村光どうだった?』 「なんとも言えないグレーゾーン。高校生にしては冷めてる子」 『お前が言うなよ』 九条の的確な指摘に返す言葉もない。光を見ていて既視感を覚えたのは、抑揚のない口調や無愛想な顔つきが昔の自分と似ていると感じたからだ。 「蛍のインスタに残ってるフォロワーは光だったよ。非公開になってる蛍のインスタも見せてもらえた」 『やっぱりか。光は蛍のパパ活は知ってたのか?』 「知ってた。私が止めるべきだったって後悔してた風を装っていたけど……本当はどうなんだろうね」 『何か胡散臭い空気でも感じた?』  車窓から見える空は水気のない薄曇りの空。 日付が変わる頃に激しく降っていた雨も一晩中降り続いて気が済んだのか、今日の東京の降水確率は30%だった。 「蛍のパパ活を見て見ぬフリしていた後悔は本物だろうけどパパ活そのものや、それをしていた蛍に対する嫌悪感や偏見は感じられなかった。友達がそういうことをしていたら、普通は距離を置きたいと思うものじゃない?」 『そうだな。俺も友達が未成年を買春していたら引くし、そいつの見方は変わる。友達だろうが即逮捕だ』 「教師達も蛍に良い感情は抱いていなかった。だけど光は距離を置くどころか、更新されない蛍のインスタを今でもフォローしてるくらい蛍に一途なの」  死人にインスタは使えないと口にした時の光の寂しげな表情が唯一、光が見せた素顔な気がする。光は今も蛍の亡霊が現れることを期待しているのだ。 『恋愛みたいな言い方だな。つまりは親友ってやつだろ?』 「そういう綺麗な気持ちならまだいい。あれは友情と言うより何か……もっとドロドロとした感情」 友情には時として嫉妬、独占欲、優越感、羨望、憎悪、軽蔑、様々な不純物が入り交じる。青春ドラマで描かれる爽やかな友情はリアルには存在しない。  押し黙る美夜を乗せた車は北区を横断していた。 『とりあえず、また川島を見張るか』 「そうね。三人の死亡推定時刻から推察して犯行は金曜の夜から土曜にかけて行われている。月曜や火曜に死体が発見されているということは、死体遺棄は日曜の夜」 『可能性はひとつずつ潰すしかねぇよな。本来は犯行の現場を現行犯で捕まえられたらいいが、俺達が見張ることで次の犯行の抑止になればいい』 「幸い、光も同じ団地内に自宅がある。今週末は川島と光を同時に張って、それでも次の死体が出たらあの二人は無関係だったと言える」  今朝の川島の行動は朝8時半に家を出て9時から印刷工場の勤務に就いている。仕事が終わるのは17時。 乾いた曇り空の隙間から太陽が顔を覗かせている。まだ明るい6月の午後5時過ぎ、工場の敷地から出てきた自転車を漕ぐ川島を二人は車内から目視で捕らえた。 『川島って車あるくせに通勤には自転車使ってる。持ってるだけで金がかかる車をなんで手放さないのか不思議だ』 「川島の前の家は調布だったよね。倒産した会社の借金返済で家も売ったんだっけ」  やがて傾き始めた太陽。西の空を赤く彩る夕陽が東の空に浮かぶ雲を染めている。 西に茜色、東にも茜色、上空には夕焼けが二つ存在していた。  川島の自宅がある六号棟の駐車場の出入りを監視できる位置に車を停めた。 近くのコンビニで購入したおにぎりで夕食を済ませた美夜達はサラリーマン連続殺人事件と川島蛍殺害事件の二つの捜査資料を今一度読み返す。  美夜は三つの死体遺棄現場に着目した。 一人目は稲城(いなぎ)市の多摩川緑地公園、二人目は狛江(こまえ)市の古墳、三人目は府中(ふちゅう)市の武蔵野公園。 「調布を囲むように死体遺棄現場が集中してるよね」 『また調布か。川島が経営していた会社も調布だよな』 「会社の場所どこかわかる?」 『川島の前の会社は……ここだな。最初の死体発見現場の近く』 タブレット端末に調布市内の地図が表示された。川島が親の代から経営していた製紙工場は鶴川街道から脇道に入った場所にある。 「この工場今はどうなってるんだろう」 『建物はそのまま残ってるらしい。壊されず跡地の利用もされずにほったらかしみたいだ』  三人の被害者の殺害方法は刃物による刺殺。相当な出血量になる。 連れ去った被害者を監禁した後に殺害するには人目につかない場所が必要だ。 『川島犯人説がビンゴなら殺害現場はここが怪しいよな』 「九条くんもそう思う?」 『ああ。工場の権利を奪われたとしても合鍵くらい今でも持ってるだろ』 「主任に報告入れておく」  小山真紀に連絡して指示を仰ぐ。 サラリーマン連続殺人事件の捜査本部は主に小山真紀が指揮する小山班と深沢警部が指揮する深沢班で構成されているが、どちらの班も現時点で被害者三人を殺害する動機を持つ容疑者をあぶり出せていない。 個人に恨みを持つ者はいても出身、学校、就職先、趣味に至るまで全く接点のない三人の殺害となるともはや無差別殺人も同然だ。  五里霧中の状況で浮上した川島蛍の父親の存在。川島が言い逃れできない物的証拠を掴めば、彼を被疑者として拘束できる。 調布には真紀と杉浦が向かい、美夜と九条はこのまま川島の見張りを続ける。日付が変わるタイミングで深沢班の刑事が見張りの交代にやって来る手筈(てはず)だ。  美夜は二錠の錠剤をペットボトルの水で流し込んだ。それからこめかみを押さえて座席の背もたれに身体を預ける。 『頭痛?』 「昨日寝酒に少し飲んだんだ。それがいけなかったのかも」 『無理するなよ。監視は俺がやるから少し横になれ』 「ありがとう」 男と酒を飲んでいたとは言えなかった。刑事であってもプライベートな時間をどう過ごすかは自由だ。  後ろめたくなくても言えない話もある。 今日は二つ嘘をついた。学校で光に事情を訊く名目を教師と光に説明するためについた嘘、愁と過ごした時間を九条に秘密にするための嘘。 (木崎愁の勤め先ってどこだろう)  愁は職業をただのサラリーマンと言っていた。しかし園美が言うには彼のスーツはオーダーメイドだ。 思考を巡らせているうちにだんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。愁がどこのサラリーマンであろうと、サラリーマンではなかろうと美夜には関係がない。 美夜も公務員とだけ明かして警察官の身分は隠している。どこに勤めていようと些末な問題だ。  人は嘘をつく。 どうでもいいと思える、小さな嘘を。
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