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辛い練習の日々で、二見沢が叱られたりへこんだりしているのを見ると駆け寄りたくなってしまう。励ましてあげたいと急いた気持ちが、私にペンを握らせる。
名無しのラブレターを一度渡してしまえば、あの時の高揚感に味を占めて、また書きたくなってしまう。靴に忍び込ませて、それを彼が見つけた時の、恥じらいながらも喜ぶ顔がたまらなく好きだった。
そうして何通かの手紙を送った後のこと。
「へえ。ふたみん、また名前のないラブレターもらったんだ?」
休憩時間中、二見沢に話しかけていたのは篠宮兄だった。彼は三年生でスターティングメンバーの一人。首にかけたタオルで汗を拭いながら二人はラブレターについて話している。
「何通目? ずっと同じ人なの?」
「たぶん、同じだと思うんすよねー」
「うんうん。いいねえ青春だ。そろそろ名前が知りたい頃だね」
「そうっすねー。返事書きたいなって思っても、これじゃ書けないし」
二見沢が返事を書きたがっているなんて。一方的に送るだけとしか考えていなかったので予想外のことに息を呑む。
近くで部員にタオルやドリンクを渡しながら、聞き耳を立てる。少しでも反応すれば差出人が私だと気づかれてしまうので、精一杯平静を装った。
「あ、そういえば――こないだの他校の女バスちゃんは?」
何気なく篠宮兄が切り出した。
「ほら。練習試合の時に声かけられて、連絡先の交換をしていただろう? 彼女がラブレターを送っているとか」
「なーるほど。篠宮センパイ、名探偵っすね」
持っていたドリンクのカップを滑り落としそうになっていた。
今、聞こえたもの。他校の女子生徒と言っていた気がする。ちらりと見れば、二見沢はまんざらでもなさそうにしていた。
違う。
あのラブレターを書いたのは、私だ。
名乗り出たいのにここが同じ部活であるから、手をあげることができなくて。ぐっと唇を噛みしめる。
私にとって聞くのもつらい話題はまだ続いた。
「今度の週末、一緒に出かけるんだろう? その時に彼女に聞いてみたらどうだい?」
連絡先交換だけじゃなく、デートの約束までしていた。
告白どころか連絡先だって知らない私じゃ敵わない。ラブレターに名前を書くこともできないのだから。
片思いの結末はハッピーエンドと限らない。その言葉が、私の胸にすとんと落ちた。
「西那マネ? 顔色悪いっすよ」
近くにいた篠宮弟に声をかけられて我にかえる。頭がくらくらとする。
「ごめん。ちょっと休んでくる」
そう言って、部室に逃げた。
これ以上、辛い話を聞きたくなくて。
部室に入って鞄を眺める。中には書きかけのラブレターが入っていた。
せっかく書いていたのだから、これを最後にしよう。誰と付き合うことになったとしても二見沢の幸せを願おう。そうわかっているけれど、ラブレターを書いたのは彼女ではないと主張したい気持ちもあった。
名前は名乗れないけれど――憂鬱な気持ちのまま、ラブレターに向き合って言葉を考える。
その時だった。
「西那センパーイ! いますー!?」
がちゃ、と扉が開いて入ってきたのは二見沢だった。私は慌ててラブレターを隠す。
「ど、どうしたの?」
「部長に頼まれて西那センパイ呼びにきたんすけど……今、何か隠しませんでした?」
「ううん。何でもないよ」
これだけは見つかったらまずい。
後ろ手でラブレターをぐしゃぐしゃに丸め、手のひらに隠し持つ。書きかけがだめになることより、彼に知られることの方が怖かった。
けれど二見沢は、真剣な顔をして言った。
「もしかして、今の手紙とかそういうやつ?」
ぎくりとしながらも、首を横に振る。それでも追及は止まない。
「その……違うかもしれないけど、ラブレターとか、そういう感じの手紙かなって」
私の予想以上に、二見沢は真実に近づいていて。
でもこれを認めるわけにはいかなかった。
笑え、と心に命じる。弧を描いた口元はかすかに震えていた。
「やだなあ。それ最近話題の名無しラブレターでしょ? 私じゃないよ」
「……そう、っすか」
「それより早く体育館戻ろ」
それ以上二見沢が聞いてくることはなかった。
ぐしゃぐしゃに丸めたラブレターはジャージのポケットに入れて、家に帰ってから捨てた。渡すなんて、もうできない。
週末になれば他校の女子とデートして、二人は付き合うのかもしれない。ラブレターを送ることもおしまいだ。
それは寂しくて、悲しくて。
告白しておけばよかったのかと後悔した。でも、告白して失敗した時のことを想像してしまうから、時間が戻っても告白はできない。
***
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