1.俺様王子の敵はクラス替え

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1.俺様王子の敵はクラス替え

 ほんの数週間だけでも空白が生じれば、人は変わってしまうのだとわかった。通う場所が中学から高校に変わるだけで、人は変わる。 「おはよう、()()()ちゃん」 「おはよう」  着る制服が変わって通う場所が変わって、どうなるかなと不安を抱いていた高校生活は次第に不安の影が薄れていった。友達はできたし、クラスの子たちと少しずつ話せるようになった。憧れていた(かず)()高校の吹奏楽部に入部して、部活もなんとか順調。  高校生活に問題はひとつもありません、と言えたらよかったのに。  かばんを置いてわたしの席へとやってきた友達と話す。昨日見たテレビとか部活の話をしていたけれど、その話題も頭に入らないぐらい廊下が騒がしい。気が散ってしまって廊下の方を見る。自然と眉間に力がこもってしまった。 「……()、登校したんだね」  わたしがそう言うと、友達も「かもね」と苦笑した。  わたしと友達。二人して廊下へ視線を送っていると扉が開いた。やってきたのは話題の()ではなく、隣の席に座る男の子で(しの)(みや)くん。お兄ちゃんも数名高校の三年生で生徒会に所属しているので、同じ年ながら高校の事情にちょっとだけ詳しい。  そんな篠宮くんも、席につくなり苦笑する。話題はもちろん、廊下を騒がせている彼のことで。 「外、すっげーな。相変わらず(いち)()()は人気だな」 「はよはよ。今日朝練あったんだ?」 「おう。おかげさまで、朝から体育館が大渋滞」  友達の質問に答えて、篠宮くんはため息をつく。  篠宮くんはバスケ部に入部して、今日も朝練があったらしい。かばんの他にぐちゃぐちゃに丸めたジャージを抱えていて、席につくなりそのジャージを丁寧に折りたたむ。慌てて着替えてきた姿が想像できた。  外を騒がせている話題の彼――一ノ瀬くんもバスケ部だ。 「一年から三年までみんな、一ノ瀬を見にくるんだよ。気が散るって、あれ」 「早起きして王子様を見に行ったって、隣のクラスの子が言ってたよ」 「うわ。一ノ瀬のために早起きしたくねーな。俺ならギリギリまで寝てる」  友達と篠宮くんが楽しそうに話している間、わたしはまだ廊下の方に視線を向けていた。  朝のチャイムが鳴る直前まで廊下で喋っているのだろう。一ノ瀬くんは隣のクラスだから、この教室に踏み入ることはなくて。  聞こえてくるのは『一ノ瀬くん、お昼食べようよ』とか『LIME教えて』といった黄色い声。女子の方が声が大きいから、一ノ瀬くんがどう答えているのか聞こえてくることはない。それが少しだけ気になった。この騒ぎを彼はどう思っているんだろう。  気になるからといって、わざわざ廊下まで見に行く気にはなれなかった。用事もないのに廊下に出れば、一ノ瀬くんを見に来た取り巻きの一人になってしまうようで。  前は、こんな騒ぎなんてなかったのに。 「おーい。日都野さん、ご指名だよ」  誰がわたしを呼び出したのかと教室入り口を見れば、そこにはわたしを待っているらしい女子生徒がいて、上履きの色からして上級生だと思う。相手は、この教室にいるどの生徒が『日都野』かも認識していなかったのかもしれない。目を合わせるなり、慌てたように頭を下げていた。 「……またか」  ため息を残して嫌々立ち上がる。  一歩踏み出せば1年の教室に入れるのに、それをせず入り口で待つ。扉のレール部分は境目となっていて、他クラスや上級生たちは境界線越えを躊躇い、こうして外からわたしを呼ぶ。  教室というのは不思議なもので。教室の作りなんてどれも一緒なのに、自分の教室だけは心地がいい。匂いが違う。他クラスの教室に入れば居心地の悪さがあるし、それが上級生のクラスとなれば違和感は増す。同じ学校なのにおかしい話。  わたしも境目を越える。嫌だけど呼び出されてしまえば断れなくて、教室から一歩飛び出して廊下へ。するとわたしを呼び出した先輩がにこりと笑った。  先輩に促されて人気のない階段の方へ。生徒たちの喧騒が遠ざかってようやく先輩は口を開いた。 「日都野さんは、一ノ瀬くんと同じ中学出身って聞いたの。紹介してもらえない?」 「ただ同じ中学なだけです。紹介とかできません」 「連絡先とか……」 「知りません」  下級生の教室まで出向いてきた先輩には申し訳ないが、本当に知らないのだから答えられない。  わたしと一ノ瀬くんの共通点は同じ中学出身であること。わたしたちが通っていた中学からこの高校に進学したのは二人だけ。なのでどうしても、中学時代の話になるとわたしが出てきてしまう。  でも。  中学の三年間で、言葉を交わしたのはたった一度だけ。同じクラスになったことは一度もない。中学時代に何をしていたとか彼女はいたとか、好きな食べ物や音楽でさえわからないのに、同じ中学という共通点だけで、一ノ瀬くんの話を聞きにくる。  中学の時は、こんな風に騒がれていなかった。王子様なんて呼ばれることもなかった。  同じ場所に通って、同じ日に卒業したくせに。彼はわたしと違うところにいる。中学から高校への数週間の空白で、彼だけが別世界に進んでしまったみたいに。  わたしが教室に戻ると同時にチャイムが鳴って、クラスメイトたちは自席に戻っていく。廊下の騒ぎも水を打ったように静かなものに変わった。一ノ瀬くんも教室に入ったのかもしれない。 「……はあ」 「日都野さん、疲れた顔してる」  先生が教室に入るまでの間、わたしの深いため息に気づいた篠宮くんがひそひそと声をかけてきた。 「……ま、疲れるよな。これじゃあ」  篠宮くんの言う『これ』が示すのは、一ノ瀬くんについて聞き出したい女子に呼び出されるだけじゃない。もう一つ、わたしが疲れる大きな理由があって。  篠宮くんの手はブレザーのポケットに消える。数名高校独特の臙脂(えんじ)色のブレザーは、ごそごそと動き、それから折りたたまれた白い紙がちらりと見えた。臙脂色に白色は目立つ。 「……うわぁ」  今日も、か。  ルーズリーフを乱雑に折っただけ、中身はまだ見てないけど想像がつく。慌てて書いたような汚い走り書きの字があるはず。  嫌々ながらも受け取り、がっくりと肩を落とす。その様子を見ていた篠宮くんが苦笑した。 「ま、頑張れよ。俺は黙ってるけど」 「助けてくれる気はないんだ……」 「俺は自分のことでいっぱいいっぱいなの。お前らのことまで首つっこみたくねーし」 「手紙を届けているだけで共犯者」 「むしろ被害者だろ。毎回めんどくせーんだよこれ」  これ以上話すことはないとばかりに篠宮くんは前を向いてしまった。仕方なくわたしは手紙を開く。 『昼休み 裏庭 いちごミルク、やきそばパン』  差出人の名前はないけれど想像がつく。このやりとりも入学してから何度目だろう。この手紙を書いた本人はここに名前を書くのが嫌だったらしく、わたしと同じクラスの篠宮くんに手紙を託した。篠宮くんもある程度の事情を知っているようで、手紙を渡す時はこそこそと隠れて渡している。  さてどうして隠れてこそこそと手紙を出さなければならないのか。それもこれも最近話題の生徒一ノ瀬くんが書いているのだ。他の人に見られては困るから差出人の名前は書かないし、直接渡さず他の人を使う。  正直言って、面倒だ。  イライラする。楽しいはずの高校生活、どうして振り回されなきゃいけないんだ。わたしに関わる面倒なものすべて、一ノ瀬くんが絡んでいる。 ***
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