第二話 窮鼠猫を噛む

16/17
前へ
/63ページ
次へ
 これぞ正真正銘神明社オリジナル、慎也さんお手製のお守り袋に中身は私が書いた木札という一点ものだ。 「学業成就のお守りね」 「わ、ありがとうございます」  両の手でそれを掲げ持ち、あんずは目をうるうるさせた。 「ねえ、あんず」 「はい」 「ごめんなさい、だけじゃなくて、ありがとうって言ってあげて」 「…………」  あんずは長いまつ毛をぱちぱちさせ、口の中でアリガトウとつぶやく。 「そうですね。ありがとう。わかりました」  そっと頷いてからあんずは「あ」と私を見た。 「いつでもいいのでまたうちの店に来てくれますか? お父さんがトワさんにいくらでもごちそうするって言ってて」 「マジで? 全メニュー制覇しちゃうよ?」  あははと笑って手を振り合い、実験室がある三号館に入っていくあんずの後姿を見送った。  一緒にバスや電車に乗った時間の中で、あんずは吐露していた。ラットを犠牲にすることについて。  もちろん事前学習で動物実験の意義や重要性を教えられなるほどと理解もした。だが理解はできても罪悪感は消えない。  不安が顔に出ていたのだろう。担当教員から個別指導を受けたりもした。そのことがあんずを更に戸惑わせた。  他の学生は淡々とラットに対している。動揺しないで割り切った態度に見える。なかなかそうできずにいる自分はおかしいのだろうか? 「そんなことないですよ」  私にお茶の湯飲みを差し出しながら慎也さんは微笑んだ。 「ですね。だと思います。こういう突っ込んだ話はリアルではあまりできないって風潮があるから。口に出したら負け、みたいな」  お夕飯の肉じゃがをいただきながら私は慎也さんの言葉に頷いた。おじゃががほろほろで味がしみしみで美味しい。 「だから言わないってだけで、感じていることはみんな同じだと思うんですよね」  反面、ネットの匿名掲示板などではリアルで言えない本音を吐き出せたりする。そういう場所があるのは良いことなのだろうけど、匿名性と発言のネガティブさは比例するっていう。そして悲しいかな、ネガティブな声の方がポジティブなそれよりずっと吸引力があるのだ。コトバにはできないもやもやを含め。  そういう学部内のなんだかんだでできあがったのがあの大ネズミなのだろうと私は考えた。  淡々と割り切った態度の学生たちとは違い、はっきりとラットへの憐憫を顔に出したあんずに引かれ、キャンパスからわざわざ出ていって何がしたかったのかはわからない。
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加