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第四話 夏越の祓
我が神明社の祭神はアマテラスオオミカミであるからして、御神体は鏡である。
だが、氏子のご高齢なみなさまの記憶を辿ってみても、社は長らく御神体が不在のまま、おそらく盗難にあってそれきり放置されていたようだ。
まあ、よくある話よくある話。建物の修繕をやってくれていただけでも十分信心深い。ありがたやありがたや。
御神体を新調するにあたって社殿の増築についてももちろん考えた。境内には拝殿を兼ねた本殿しかなかったので、社を建て直すのならまずは詣でる人たちのために拝殿を設えるのがセオリーなのだが、あいにく境内には敷地の余裕がそれほどなかった。
近隣の人々にとって神社の境内には、散歩の途中の立ち寄り所であったり、集会場であったり、子どもたちの遊び場であったり防災の場所であったりと様々な役割が付加されている。日常でそれほどありがたみはなくとも、なくなるとなれば困るというレベル。
なので広場を狭めるくらいなら拝殿はいらないから、御神体が鎮座する本殿をきれいにしてもらった方が良いだろうと氏子会の総意をいただき、荒れていた本殿の内装を新しくし、神鏡を安置した。
住民のみなさまに愛されている神明社であり、名前をアマテラスに乗っ取られてしまったもともとの土地神様もきっと満足なさっておられることだろう。満足していてほしい。祟られたらいやだから。
なんて思いを込めつつ私は本殿に御幣を捧げる。何事も気持ちが大事なのである。
さて、雲の晴れ間の青空も懐かしく暑さが日に日に増してゆく初夏のみぎり、日本各地の神社では夏越(なごし)の祓(はらえ)が行われる。半年分の厄落としをする大切な行事だ。
境内にチガヤで編んだ茅(ち)の輪が立てられ、人々は輪をくぐって穢れを落とす。この茅の輪くぐりに親しんでいる人たちにとっては夏の風物詩といったところ。
わが神明社の境内でも、今年も茅の輪が作成された。お正月のどんど焼きの際のおんべ作りと同じく、神職不在の間も伝統行事を続けていた自治会の方々が張り切ってくれるので、慎也さんはあまり口出しせず現場を見守っていた。
私の目から見ても地域独特な感じが画期的というか、微笑ましいというか。でも文化ってこういうものなのだろうなーなんて思ってしまう。毎年少しずつ違った仕上がりになるのも面白くて良い。
「独創的よねえ、今年も」
背後から聞こえた高い声に、来たな、と私は腕組をしたまま振り返る。
この暑いのに量も長さも多い黒髪を垂らして、なのにまるで暑さを感じさせない涼やかな白い顔で貴和子が立っていた。
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