欠陥品の男の場合

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 すっと顔との距離を詰める。すると鼻に強烈な香水の匂いがついた。でも今は我慢だ。抗う体を律して、にっこりと微笑んで見せた。 「すぐそこの私大に通っているんです。…お店だと他の方に迷惑がかかるので、今度からは大学の方に会いに来てください。そこでゆっくりお話しましょう」  すると女性はとろんと目を緩め、口元を手で抑える。ようやく袖から手が離れたところで、その場を後にした。厨房に入ったところで、さっきの客をブラックリストに入力しておこうとメモを取った。ちなみに、俺は私大ではないので、行っても会える筈も無い。こっそりと覗いてみると、私大のある方角を、彼女はうっとりと見つめていた。  こうやって個人情報をしつこく聞いてくる客は、何度断っても無駄なのだ。なので適当な嘘をついて撒かないと、接客さえままならない。 これで何人目かと数えるうちに頭が痛くなってきた。 「おや、またナンパされたの?」 「…ナンパじゃないですよ」  あんなのただの嫌がらせだ。そう言いそうになるのをぐっとこらえ、店長の顔を睨み見る。彼は好奇な目を輝かせ、肘を軽く突いてきた。 「モテる男は大変だねぇ」  今更謙遜したところで、むしろ嫌味だと言われるのがオチだ。自分でもモテている自覚はあった。 「そうですね、大変です」  さっき掴まれた部分に、アルコールを振っておく。香水の匂いを思い出すだけで、吐き気がした。  するとそこに、コックの男性が料理を出しにきた。彼の目には明らかに苛立ちの色が浮かんでいた。まあ、彼が怒るのも、分からなくもない。  先週、バイト仲間が俺の悪口を言っているのを聞いた。着替え室に忘れ物をしたので、店に戻った時に、声がしたのだ。 「良いよな、恵まれた奴は。顔が良いだけで女が寄って来て。ったく、ここはホストクラブかよ」 「ねー。あいつ目当ての客ばっかり。私が接客したら、あからさまに嫌な顔されたのよ。…はあ。バイト変えようかな」 「せめて彼女を作ってくれれば、少しはマシかもな」  そうやってケラケラと笑っているのを耳にした。このコックもその輪の中に入っていた筈だ。でも、もしも俺が同じ立場なら、似たような文句を言っていると思う。彼らが、ホストまがいな態度が気に入らないのも分かる。甘い言葉を囁くなんて、自分でも虫唾が走る。けれど、これが一番いいやり方なのだ。  本当の自分は、どうしようもなく汚い。その汚さを隠すには、これしか方法がなかった。  これまでの人生の中で、他の人より好意を向けられる回数は多かった。多少顔立ちが整っているだけで、相手はご機嫌取りをしてくる。気に入られようとしてくる。自然と集団の中心に据えられる。  だからこそ、俺を嫌う人間も沢山いた。  ある友人に、お前は恵まれてるよと言われた事があった。顔が良いから、人が自然と寄って来る。お前を嫌う奴は、裏返すとねたんでいるだけで、本当は羨ましいのさ。だから気にするな、と励まされた。  でも、俺は一度として傷ついた事は無かった。それと同時に、好意を寄せられて嬉しいと思った事も無かった。  好きと嫌いに対して、まったく興味がなかったのである。
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