第三章 ③ 保健室で。また2人。

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第三章 ③ 保健室で。また2人。

 学校にベッドがあってほんと良かった。  最近よく体調を崩す。誕生日に風邪を引いたのは仕方がないとしても、今回はもう……、本当にどうしようもない。  体育の授業中に眩暈を起こして保健室で眠って目が覚めた。一時間目の途中にベッドに入ってすでにお昼。薬を出されたわけではないのに自分の家よりも気持ちよく寝れた。  保健の先生からは寝不足という診断を受けた。幸いと言うべきか、寝不足になった原因までは聞かれていない。聞かれたとしても人には言えないし、答えようにも家族や彼氏と上手くいっていないからと嘘でも本当でもない答えで誤魔化すしかなかった。  昼休みを告げるチャイムが鳴る。寝ていた私にはその感覚がなかった。廊下から賑やかな声が聞こえてくる。私以外誰もいないこの部屋には何も変化が起こらなかった。  ちっともお腹は空いていなかった。食欲も元気もない。どうやら私は、自分で思っていたよりも弱っていたらしかった。  鼻から大きく息を吸ってゆっくりと吐き出す。目は覚めているけど倦怠感が残っているせいで、どうにも体を動かせなかった。  不意に入口の扉が開く音がした。  ベッドの周囲はカーテンで閉ざされているから誰が開けたのかはわからない。先生が戻ってきたのか、先生を探しに来た怪我人か、それとも私の見舞いに来た変わり者かのどれかだ。 「うわ、誰か寝てるやん」 「ほんまや。なんでなん? まじ最悪」 「もうええわ。食堂いこ」 「………………」  どれにも該当しなかった。聞こえたのは女子生徒3人の声。聞く限り、相手は顔もクラスも学年もわからない。  口ぶりからしてベッド目当てで来た不良。偏見込みで言えば迷惑をかけるタイプのギャルだと悟った。  遠のく足音を聞いて長い息を吐く。まさか体調の回復のため来た場所で気分を害されるとは思わなかった。弱り目に祟り目としか言いようがない。  カーテンを開けられたり絡まれたりしなかったのは助かったけど、最悪だなんて言われると思ってもみなかった……。でも、言った相手はきっと何とも思っていない。むしろベッドを使われた被害者だと思っているだろう。つい、育ちが悪いと悪態をついてしまいそうだった。 「扉も開けっ放しだし……。最悪……」  廊下の音が先ほどよりも大きく聞こえる。神経質になっていた今の私の耳にはかなり煩く感じた。  これでは治るものも治らない。私が自分の誕生日から抱え続けているストレスは半日寝たくらいで癒えるものではないけれど……。  大元を正さない限りは頻繁に体調を崩してしまうと思う。どうにか、間の悪い体質が治す方法はないだろうか。  誰か助けてほしい……。  頼れる人がいない。今まで心の支えにしていた2人から同時にショックを与えられ、樹奈とも少し気まずくなってしまっている。  先日の誤解は剣輔くんが解いてくれたらしく樹奈は私に一言謝ってくれた。けど数日経ってもまだまともに会話できていない。それに、結局のところ剣輔くんが暴力を振ったという事件は有耶無耶になってしまっていると言う。樹奈は一応マネージャーを続けているらしいが、普段通りというわけではないようだった。  早く元の2人に戻ってほしい。  神様がいるならどうか、何でもするから、時間を巻き戻してほしかった。私が16歳になる前の時間に……、いや、どうせなら中3の4月に戻してほしい。やり直すことができたらきっと、優大が野球を続けている未来に変えることができるはずだった。  そうなると樹奈と剣輔くんは付き合っていないだろうな……。  2人が出会ったのはここの野球部……ではない。最初のきっかけは変わったところにある。ナンパに絡まれていた樹奈と私を偶然通りかかった剣輔くんが助けてくれたのだ。樹奈の方はそこで一目惚れし、野球を辞めていた彼と一緒にマネージャーとなった。  剣輔くんは高校では帰宅部になるつもりだったという。優大との再会に刺激され、堂々と復帰した。  怪我で辞めた優大と違い、剣輔くんは暴力事件を起こしたという。しかし同情の余地がある。体罰気味な監督からチームメイトを守り、チームのために退部したとのこと。暴力は良くないけどすべては否定できないなと思った。  気性は前から荒かったし、口もどちらかというと悪い方。樹奈へ暴力を振っていたとしても意外ではないのかもしれない。しかし誤解だとも思える。そうなると樹奈の勘違いということになるが、それも違う気がする。泣いて訴えてきた樹奈の言葉を無視するなんて私にはできない。  一方、当事者はどうかというと、剣輔くんは「知らん」と言って何を考えているかわからないし、樹奈とは少し話しづらい。こんな状態で私は何をどうすればいいのか……。せっかく相談されたから何かしたかったけど正直、勝手にしてと言いたくなる。  自分とは関係のないことで、私はどうしてこんなに悩んでしまうのだろう……。  考えるって面倒だなと時々思う。できればこのままずっと眠っていたい。  目を瞑り、どうにもならないことを考え続ける。  意識が遠のいた。少しはしたないけど、ひとりだから構わず大きく口を開けて欠伸をする。  もう一度眠れる。そう思った次の瞬間には、「もう放課後よ」と言う保健の先生の声に起こされた。  落ちる太陽が赤くなりかけている。風は穏やかなのに浮かぶ雲は速く流れていた。コンビニで買った300mlの牛乳を飲みながらゆっくり帰る。足も瞼も重かった。  ぐっすり寝たのにまだ眠たい。眠りすぎなほど寝たのに欠伸が止まらなかった。  時間の進みが遅く感じる。きっと気怠さのせいだ。私の体調を良くする方法は、学校を辞めて且つ一人暮らしを始めるしかないように思えた。 「16歳でもできる仕事って何があるんだろう。奇跡的に就職出来て一人暮らしが出来たとしても、移った先でもしんどいことはあるんだろうな」  進学のために塾へ通わせてもらっておきながらこんなことを考える私は良い子じゃないんだろうな。  先の樹奈と剣輔くんのことだけじゃなくて、最近に遭ったいろんな問題に関してお母さんや優大としっかりと話せば何かしら今より良い方向に動くかもしれない。なのにそうしないで逃げようと、楽をしようとばかり考えてしまうのは私の良くない癖なのかもしれない。その証拠に、授業を全く受けなかった罪悪感は清々しいほどなかった。  罪悪感はないけれど帰る足取りは体調関係なく重い。真っ直ぐ帰るなんてしたくないのに体調のせいでコンビニ以外の寄り道が出来ない。帰ってまた嫌なものを見てしまうかも……そんな想像に駆られて気が滅入ってしまっていた。そうならないように祈るしかない。それ以外どうしようもないことだった。  不倫をやめてほしいとはっきり言える性格ならどれだけよかっただろう。私の性格は、間の悪い体質との相性が凄く悪い。良すぎるとも言える。生まれつきの間の悪さによって形成された性格だから、私はこれからもっとネガティブになっていくのかもしれない。  長い坂に差し掛かる。  家が近づくにつれて頭が痛くなった。比喩的な意味もあるけれど、具合が悪いせいで頭痛薬を欲するくらいの酷さはあった。  熱はないし、息苦しくもない。お昼もちゃんと食べていないのに食欲もなかった。 「お風呂に入ってすぐ寝よう……。あ、でも頭痛の時ってお風呂ダメなんだっけ? どっちでもいいか」  テレビでやっていたようなあやふやな情報を思い起こす。あとでスマホを見ようなんて言ったきり記憶から消し去った。  肩を揺らしながら残った体力を使って全身で前に進む。  ふと、前方にいる2人組を視界に捉えた。親子くらい年の離れた男女2人。30代の若い女性ともっと若い男の子。それは紛れもなく、私の母と私の彼氏だった。  手ぶらなお母さんの隣を歩く優大は、いつものエナメルバッグ左肩に担ぎ、右手には大きく膨らんだエコバッグを持っている。  2人は私よりもゆっくりとした足取りで、楽し気にお喋りしながら笑顔を向け合っていた。その表情は、どちらも私が久しく見ていないものだった。  胸が締め付けられる。  これ以上見ていられなかった。  二人に対して怒りを覚えてしまうのは逆恨みということになるのだろうか。  自分ばかりしんどい思いをしているような気がした。私は、お母さんの不倫相手にまで脅されているというのに……。  また泣いてしまいそうだった。悪くない自分が泣くのは間違っている気がしてお母さんと優大へ背中を向けて坂を下り、どこでもないどこかへ歩き始める。  堪え切れず、良くないことだとわかっていながらお母さんへ「晩御飯は友達と食べる」とメールした。
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