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第三章 ② 上書きしたい。
練習を抜け出したと聞いて樹奈の本気度が伝わった。
歩いて向かえなくもない距離を、電車代を払って会いに行く。この片道二百四十円はちっとも惜しくなかった。
土曜日午後は快速も各駅停車も空いていた。座ってひといきつき、樹奈との数分の電話を回顧する。
樹奈が突然、野球部マネージャーを辞めたいと言い出した。ひょっとすると樹奈は前から悩んでいたのかもしれない。しかし、聞かされた私にとっては寝耳に水だった。
彼氏もいるし、性格的に向いている気もしていたから、私は勝手に引退まで続けるものだと思い込んでいた。ゆえに、出されていたSOSに気づけなかったことが悔やまれる。
私は親友失格だ。そう言いながら、不謹慎にも、こうして頼られることに若干の嬉しさをかんじてしまっていた。ついでに本音を自白すると、深刻な相談であっても私は声を聞けただけでありがたいと思っていた……。
電車が減速し、目指していた駅に停車する。ドアが開くと同時に立ち上がって狭い通路を歩き、ICカードの使えない自動改札機を通った。ここから長い道を歩く。
歩く足が重いのは樹奈と話すことを億劫に感じているからではない。樹奈から電話までの不運によって起きた不幸のせいだった。私はただ、不幸を頭から追い出したかっただけなのに……。
頭を空にしようと訪れた場所で見舞われた不幸は、私の間の悪い体質がなければあり得ないだろうと思う。つくづくこの名前が嫌いになった。
間が悪い自分に、間が良いと初めて言ったのは樹奈だった。樹奈に何度も言われて聞き慣れたセリフ。よくよく考えてみると樹奈以外からは言われたことがないかもしれない。
間の良い出来事なんて、今までほとんどなかったのだから。
舗装された丘を登る。丘のさらに奥にある団地街の広い公園で樹奈は座っているらしかった。
たった数分の通話時間では、樹奈がどうして辞めようとしているのかを聞きだせていない。本当に辞めたいと思っているのかもわからなかった。
人に悩みを打ち明けられない私が人の相談に乗る資格があるのか……。人に言えない悩みばかりを抱える私にできることはほとんどないような気がした。
ベンチと砂場以外は公園と呼べような物の無い広いだけの団地の庭に着いた。ここを訪れるのは風邪の見舞いに来た時以来だ。
砂場から一番遠い、団地の影になったベンチに樹奈は俯きながら座っていた。近づくと顔を上げて私を一瞥し、表情を変えずに顔を下へ向けた。
とりあえず横へ座り、肩をぴったりくっつけて樹奈が口を開くのをじっくり待つ。
言葉と間を選び、自分のタイミングで話そうとする樹奈は開けかけた口を何度も閉ざした。しばらくして、会ってようやくの第一声を聞かされる。
「剣輔に、暴力振られた……」
「うぇっ?」
驚いて声が少し上ずった。いつもなら変な声を発したことに笑ってしまうけど、今はそんな状況じゃない。
「剣輔くんが暴力って……、それほんと?」
オウム返しのような聞き方だけど、それ以外の聞き方は思いつかなかった。
質問に頷かれて私は小さく息を呑んだ。すぐには信じられず、続ける言葉が思い浮かばず、しばらく沈黙が続いた。
剣輔くんが樹奈に暴力を振った。正直、絶対にないとは言い切れなかった。
小学生の時からの顔見知りと言っても少年野球の試合、そのほんのわずかな一面しか見ていない。全く話さなかったわけじゃないけど、どう考えても知らない部分の方が多い。高校に入ってからも樹奈の彼氏、もしくは彼氏の友達という決して親しいとは言えない関係だった。
少し口が悪くて、人当たりの良くない面もある。ただそれでも樹奈には優しいものだと思っていた。それに、先日バッティングセンターで不審な男性に絡まれていた私を助けてくれた。
樹奈を疑いたくはないし味方でいたい。けど、何かの間違いであることを願った。
「うち、剣輔に嫌われてし……。けどなんで、あんなことされたんかわからへん」
ため息と一緒にこぼれた嘆きを耳にするのは辛かった。しかし、私には聞くことしかできない。何を言っても中途半端になってしまうような気がした。
樹奈は今、思い浮かんだ単語を吐き出しながら私に話す順番を整理している。ここで質問を挟むと却って大事なことを聞き逃す。だからただ静かに耳を傾けた。
しかし、不可抗力のせいで狙い通りにはいかなかった。
「樹奈っ!」
「「!!」」
声がして2人同時に振り向くと、息を切らした剣輔くんが立っていた。汗をびっしょり掻いて、大きな体全身で息をしていた。部活で動いた後なのに長い道を走ってきたようだ。
予想外の当人登場に、私と樹奈は言葉を失う。ここに剣輔くんが現れることが、間が悪いのか間が良いのかまだわからない。ただこれはすれ違いを直すチャンスでもある。ズレを正せばより仲良くなってくれるかもしれない。そんな淡い期待を描く。それが上手くいかないことはなんとなくわかっていた……。
「廻莉でしょ……」
「えっ?」
「廻莉が呼んだんでしょ? なんで余計なことするの?!」
思ってもみない方から矛先を向けられた。違うという一言を出せなかった。
すると剣輔くんが反論する。
「オレがどんだけ探したと思ってんねん。急にいなくなりやがって……。ほんま何考えてんねん」
「剣輔だって何考えてるのかわからないじゃん!」
ここでのことしか知らない私は、2人が話さない限りは部活内での出来事を知れない。2人の応酬にズレを感じながらも口を出すことができなかった。
「ほんまわけわからん……」
「じゃあもういい!!」
言うと同時に背を向けて樹奈は家の方へ帰ってしまった。
私はベンチから立ち上がることできず、剣輔くんを追うように説得することもできなかった。
私の間の悪さは人の恋仲にも悪影響を与えてしまう。
私がいたせいで余計に拗れてしまった。ここに私がいなければ2人だけで話し合えていた。2つともたらればだけど、私が親友とその彼氏に対して何の言葉もかけられなかったのは紛れもない事実だった。
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