黒い鞄

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「ねえあなた。なんだか……三年前のお義父(とう)さんのことを、思い出しませんか?」  突然文は、そんなことを言い出した。  おれの実父、新原敏三は、三年前、流行性感冒が原因で死んでいたのだ。  おれは幾度も咳払いをすると、煙草を足元に投げ捨てた。 「……何が言いたいんだ?」 「それに」 「なんだよ、まだあるのか」 「今日の朝、勝手口のところに、突然見たこともない黒の野良猫が一匹、横になって舌を出して死んでいたんです」 「……」 「なんだか私、気味が悪くって」  おれはじっと、文の顔を見返した。向こうも負けずにそうしてくる。 「だからおまえは、さっきから何が言いたいんだよ」 「ですからきっと全部ーーで御座いますよ」  毅然とした顔で文は言った。おれはその途端に吹き出してしまった。 「なにをバカな」 「笑い事じゃあございませんよ。考えてもみてください。この出来事が全部、あの晩あなたが、あの荷物を持ち帰ってきた日から始まっているんですから。私はちゃんと、日めくりで数えて勘定しているんです」 「……」 「それに、いくら菊池さんのためのお仕事だからって、いつまでたってもあの鞄の持ち主を見つけだしもせず」  おれは何度も舌打ちした。いくらしてもし足りないくらいだ。 「だったら、おれにどうすればいいというんだ?」 「そんなことは、女の私にはわかりません」  おれと文は、しばらく黙り込んだ。気詰まりな空気が広がる。 「あの鞄を、お前は今すぐどこかにやってこい、と、そう言いたいんだな」 「ええ、そうです」  おれは縁側を立つと、裏の勝手口に向かった。  戸を開けて外をのぞいてみると、空の醤油の一升瓶などと共に、汚い油紙に包まれたものが地面の上に置かれてある。  日当たりの悪い、苔のうっすら生えた湿った土の水分が、その紙の塊の下半分の乾きを奪ってしまっていた。おれはその場に屈み込むと、その包みを指先で少し広げてみた。 「ウッ」  口元を手で押さえると、すぐにその包みを打ちやって、家の中に戻った。  台所で手を念入りに洗ってのち、今度は奥の六畳間に向かう。  薄暗い、部屋の中央に敷かれた布団の上に、濡れた手ぬぐいを額に乗せた比呂志が寝ていた。  比呂志は、苦しそうに顔をしかめていた。額にじっとりと脂汗がにじんでいる。何か小さく、うなり声のようなものも上げている。
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