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第四話 回線落ちのアンカ
「いつまで寝てるの? おねぼうさん」
鈴を転がしたような明るい声が頭に響いて、アンカの意識を浮上させた。
ゆっくり瞼を上げると、色とりどりの花に囲まれたステキな庭園が目に飛び込んできた。慌てて周りを見渡すと、どうやらアンカはその庭園の真ん中に並べられた白い長テーブルの端の椅子に座っているようだ。星空がきれいな夜で、テーブルの上には紅茶とスコーンなどのお菓子が置かれ、お茶会の席に迷い込んだような印象を受けた。
「あなた、アンカって言うのよね」
話しかけられて視線を目の前にやると、アンカの反対側に白いドレスを着たかわいらしい同い年ほどの女の子がほほえんでいた。
この状況からして、この子が支配人のようだ。
「あ、は……い。でもなんで――?」
「お星さまが教えてくれたのよ。ほら、あの赤い星。見える?」
指さされた方に目を向けると、無数の星の中に一際強く輝く赤い星があった。
「あれもね、アンカっていうのよ。まだ若い星。光も強くて、すてきな星だわ」
「へぇ……」
(知らなかった。今度調べてみよう)
「わたしは楼妃。よろしくね。それで……、なにか御用かしら?」
「はい。もとの場所に帰らせていただきたくて」
「つまり、目覚めたいということね?」
「そうです」
楼妃は一見おっとりしているが、意外にも物分かりがいいようだ。
「でもなんで? ここは快適でしょう? ここにいた時間だけ、どんどん願いが叶いやすくなるの。人は理想と現実の差に苦しむ生き物よ。その差がなくなればみんな幸せになるわ」
(『夢は深く沈むほどよく叶う』って、こういうこと……。え、それじゃあ、最後の方にラッキーがつづいたのって……)
思い返してみれば、ドリームライナーの出来事は上手くできすぎていたと思う。
(あ、あの女の子はもしかしたら、私より滞在時間が長いから飛べたのかも)
「ここに来る人はね、みんな生きるのに疲れてしまって、夢の中に逃げ込んだ人なの。たしかに、実際の世界では死んでしまったことになるんだけど、ここで永久にすきなことをして遊んで暮らせるの」
「じゃあ、楼妃さんも生きることが辛くてここに……?」
アンカが真剣な顔をして聞くと、楼妃はクスクス笑って、
「それは、ちがうわ。わたしはここの創業者兼、管理人。人間ではないの。しかも、好意でここを創ったわけではないわ。仕事の一貫なの」
「あ、そうなんですか」
「ええ。わたし、小説家なのよ。特に美しい物語が好きなの。でも、題材がなかなか思いつかなくて……。だから、『つらい、死にたい』と思っている人を救済する代わりに、その人を題材としたお話を書かせてもらって、その収益でここを運営しているわけなの」
「小説……。ああ、そういえばこのお城の書庫のお話は楼妃さんが書かれたおはなしでしたっけ」
「あぁ、読んでくれたのね! うれしいわ。そうなの、みんな美しいお話でしょう? どこの世界でも好評なの。こうみえてわたし、売れっ子作家なんだから」
(美しい……?)
アンカは嬉々として語る楼妃の言葉に違和感を覚えた。あの悲しい、みんな死んでしまうお話のどこが美しいのだろう。
「あの……、なんというか、バッドエンドが多かった気がするんですけど」
「わかってないわね! それがいいんじゃないの。命を懸けて友達を救う。余命わずかのひと夏の恋。いじめに耐えかねた少女……。ああ、美しいわ。これを美談と言わずになんと言うの?」
寒気がした。ゾクゾクとするような狂気を、楼妃のかわいらしい顔の表情から感じた。
確かに、楼妃が挙げた例はどれも定番と言ったら定番のシナリオだった。
でも、何かが引っかかる。なにかおかしい気がする。
「それは……、実際にあったことなんですか」
「ああー、痛いところをつくわね。まあ、ここにお迎えして命をお預かりした後、わたしがちょちょっと工夫して実際に行動させているの。命のない肉体をだけどね。それから、お話を書いているから、一応実際のことよ。でも、美しい話に仕上がっているから問題ないでしょ」
(でも、死ぬことは本当に美しいことなんだろうか)
楼妃の話を聞きながら、アンカはずっと自問自答していた。
確かに映画やドラマ、本などでそういう美しいお話は多く、その影響か、『死にたい』というSNSへの投稿が社会現象になり、死に対する価値観も変わってきているのかもしれない。
でもやっぱり悲しいことだし、避けたいことだ。
どんなに辛いことがあっても、ときどき笑顔になれる日が来る。
見方を変えれば、幸せなのかもって思える。
そんなちいさな生きる喜びを、死に寄り添うことで忘れてしまっているのではないだろうか。
(やっぱり、あの曲は理解できない)
「やっぱり、死ぬことは美しくないと思います。私は死にたくない」
「なんですって?」
楼妃の声が突然低くなった。
「いっぱい、精一杯生きて死ねたらいいと思います。でも、途中で勝手にリタイアして、勝手に気取っているなんてバカみたい」
「フン。死にたい人の気持ちなんてあなたに理解できるかしら。あなたのバイオリンのあの曲、さっき上手く弾けたのはこの遊園地の中だったからよ。気づいてた? あんな気持ちのこもってない演奏が、あなたの無知を象徴しているわ」
「……」
(そうだよね)
あの時は舞い上がって気付かなかったけど、感情移入できていたはずがない。
アンカはなんだかがっかりした。
それに、アンカは一度だって死にたいなんて思ったことはない。
そう考えると、楼妃の主張はごもっともだ。
(……でも待てよ。この世のことについて全部知っている人なんているの? みんないろいろ悩んで、推測して、少しずつ解決していくんじゃないの?)
「……そうです。なにも知らないんです」
「ん? なに。どういうこと」
「私たちは、思っているほど世の中のことについて知らないんじゃないでしょうか。なのに、全てを悟ったように、『生きる意味なんてない』なんて考えて死んでしまうのは、ほんとうに早とちりだと思います」
「……はぁ、あなたは恵まれているからそんなことが言えるのよ。生きるのが苦しくて、どうしても消えたい人もいる」
皮肉めいた口調で楼妃がアンカを見つめてきた。
アンカの出方をうかがっているようだ。
しかし、アンカはこの論争に勝つ気はなかった。
(まともに言い争っても勝てなそうだし、とにかくはやくおうちに帰りたい)
「確かに、そうかもしれません。本当のところの答えは誰にもわからない。だから、楼妃さんの意見を完全に否定することはしません。でも、私はやり残したことがあります。だから私を目覚めさせてください。お願いします」
アンカは、勢いよく椅子から立ち上がって頭を下げた。
あまりにも勢いがよかったので若干体が飛び上がってしまい、服にも紅茶がかかってしまったのが、我ながらちょっと情けない。
すると、
「イヤよ」
「え……」
「返しませんわ。さっきも言ったでしょ? わたしは小説家なの。さいきんは経済の影響か、サラリーマンとか普通のおじさんばっかりで飽き飽きしていたのよ。その点、あなたはバイオリンを弾ける少女。いいお話になるわ」
ニヤリを不敵に笑う楼妃を見て、アンカははじめて状況を理解した。
(もしかして、私、死んじゃう……?)
「『主人公は、アンカ。バイオリンが上達せずに……』、んー、華がないわね。あ、そうだ! 『努力の末、見事世界大会で優勝。だが、あまりにも自分の音楽を追求するあまり、若くして自ら命を絶つ』。あぁ、いいわね。美しいわ」
嬉しそうにストーリーを考える楼妃を見て、アンカは焦った。
「まってまって、ストップ! 私は死にたくない。お願い、帰らせて!」
「ふうん、変ねぇ? この遊園地には死にたい気分の人でないと来られないのに。あなた、死にたかったんじゃないの?」
「そんなこと――」
(もしかして、あの曲について考えて寝たから……!)
アンカは真っ青になって首を振った。
「違います。間違えなんです! そんなつもりさらさらありません」
「……へえ? まぁ、なにはともあれ、回線落ちしたのは事実だわ。あなたの命はもう、命の回線から落ちて星になっているの。あ、ちなみにさっきの赤い星がそうよ」
回線とは命同士がつながっているもののことだろうか。
よくわからなかったが、『回線落ち』することは命を落とすことと同義なんだと察した。
しかし、まさか、のんきに見上げていた星が自分の命だったとは。
(だから、星の名前がアンカ。あれ、ということは……)
『それらは、それ実際にこの世界で夜空に見える星を描いたものなのです。それぞれの星の名前が主人公の名前と同じでして』
シャープの声が、頭の中によみがえってきた。
つまり、この夜空の星々は全部誰かの命であったものであると同時に、楼妃にお話を書かれた人ということになる。
アンカはいよいよ恐怖がのしかかってくるのを感じた。
「でも……、どうしても帰りたいんです。どうにかなりませんか?」
「そんなの簡単よ。あの星――つまり、あなたの命――を取って飲み込めばいいの」
楼妃が目をつぶりながらサラリと教えてくれたので、拍子抜けしてしまう。
(なんで? 帰っていいってことなのかな)
だが、そこでふとあることに気付いた。
「どうやってあそこまで取りにいけばいいの?」
そう、星は当然ながらすごく高いところにある。到底届きそうにない。
アンカのつぶやきを聞き、目を開いた楼妃は、柄にもなく大笑いして、
「アハハッ。バカね、だから言ったでしょ。あなたの命は返さないと。こんないい小説の題材、手放せるわけないわ。まあ、精々空を見上げ続けなさいよ。あ、あと一応言っておくけど、『夢は深く沈むほどよく叶う』の原則は、ある程度状況がそろうことが大事なの。なにもないところから、ミラクルは期待しないことね」
「そんな……っ!」
アンカは絶望のあまりテーブルに両手を打ち付けた。
強く打ち過ぎたのか、その時体が一瞬フワリと浮く感覚がした。
(ん? そういえば、さっき立ち上がった時も体が飛び上がったけど……。あれ、これ、もしかして)
頭にポップコーンのあのおそろしい色がよぎった。
(状況、そろってるんじゃない?)
いまなら、あの時よりも滞在時間が長いから、きっと飛べるはず。
「よし……っ! いける!」
「な、何をしようっていうの?」
アンカは思いっきり渾身の力を振り絞ってバルコニーの足元を蹴った。
(いけっ。とどけとどけっ、絶対におうちに帰るんだーっ!)
***
「ううーん」
アンカは、顔をしかめつつも目を開けた。
見慣れた天井、ソファー、ローテーブル。そして、バイオリン。
どうやら無事に帰ってこられたようだ。
(よかったー。めちゃくちゃ怖くて、すんごい疲れた……)
安堵しつつ、アンカは大きく伸びをすると、ソファーから立ち上がった。
すると、ハラリとなにやら紙が落ちた。
(あ、楽譜)
拾い上げて、いつにも増して恨みがましく楽譜を見つめる。
この楽譜がそもそも全ての原因なのだ。
(なんか不吉だし、今日先生に相談して変えてもらおうかな)
演奏会は近いが、この曲を弾く気にはなれなかった。
それからしばらく回想していたが、頭がだんだん冴えてきて、そもそもさっきのことはただの夢だったのではないかという気もしてきた。
「はぁ……、まあ、おなかすいたし、なんか食べよう」
そう言って歩き出したとたん、ちょうど全身鏡に映りこんだので、なんとなく覗き込むと、
「キャーッ、なにこれ!」
なんと、ワンピースに大きな茶色いしみができていた。
きっと星空の間でテーブルから立ち上がった時にかかったのだろうが、その模様を見て、アンカは愕然とした。
『回線落ちのアンカ。ばーか』
「はあー? もう、バカってなによぉー! 迷惑散々かけといて、楼妃のばかー!」
月が地平線へ沈むころ、アンカの叫びは、朝焼けの広がる空いっぱいに響き渡った。
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