1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
[足立有紗 十八歳]  毎朝、あの家の前を通って学校に行くんです。友達に比べると家から近いから、油断しちゃってよく遅刻するんですけど。自転車登録してないから、急ぎたくてもどうしようもないことが多いです。だからそういうときは、すごく疲れるんですけど、ダッシュするんです。  十分くらいの道のりの途中に、その家が・・・あ、はいそうです。Oさんです。あるんですけど。え、でも、別に何かされたとかじゃないんです。でもずっと見てるんですよね、カーテンの陰から。・・・あ、はい、女の人です。ちょっと背の高い女の人です、髪長くて。いつもいるわけじゃないんですけど、急いでるときに限って・・・あのお家だけ塀が低いじゃないですか、だから、しんどいなって口開けて顎上げて走ってると、塀の向こうがよく見えるんです。それでなのかもしれないんですけど、急いでるときは必ずいるんですよね。そうかもなって思ってからは怖くて、気づかない振りして走り抜けちゃうんですけど。・・・いや、喋ったことはないです。男の人?は見たことないーーーです。はい、ありません。学校以外にあの道通りませんから。なんか、あの通りって塀が高くて電柱も汚くて、道も細いし、やなんですよね。 [荻野孝晴 三十八歳]  あれ、おかしいなと思ったのは、Oさんが越してきてすぐでしたね。我が家にまず挨拶に来てくれたんですけれど。隣だから。彼の実家は市川にあるそうで。梨が有名なんです、って、玄関先で段ボール一抱えくれたんです。いや別にその太っ腹が奇妙だなんて言う気はないですよ。そういう素敵な人もいるんだなと。仲良くしましょうね、なんて話して。ぺこぺこ頭下げて帰られるものだから・・・帰るって言ってもお隣ですけどね。それで、私も家の中戻ろうと体の向きを変えたんですね、こう、くるっと。そしたらあの方のお宅の窓辺に、女の人が立ってらして。髪の長い方です。あ、奥さんだなと思って、頭を下げたんですけど、あっちはまあてんで、まるで造りものみたいに動かないんですよ。じいっとこっち見てるんですね。あ、家の中にいらしたんですその人は。あのお宅には縁側がないでしょう?で、気味が悪くなったんですぐドアを閉めて、妻に話したんですね。そしたら怖がっちゃって怖がっちゃって。お隣さんとの問題って厄介じゃないですか。わかるでしょ?だから、変に関わらないで、知らん振りしようってことになったんです。巻き込まれてもおもしろくないですからね。ああでも、梨に罪はないですからね、梨はいただくことにしたんです。おいしかったですよ、二人で喜んで食べてました。妻が剥いてくれたんです。失礼、ぜんぜん関係ない話をしました。  あー、で、その後はそうですね。うーん、でも、特に変わったことは。私の仕事がうまくいかなくて、妻と喧嘩したくらいですかね。いや、お恥ずかしい。女性はね、よく見ましたけどね。というか、見られてるのかなむしろ。え?僕?僕はそうですね、あんまり怖いと思ったことはないですね。妻が僕よりずっと怖がってましたんで。ほら、近くに自分より冷静じゃない人が居ると変に冷静になるじゃないですか。で、それが伝わったのか、Oさんが回覧板持って来たときなんか、かえってあっちが申し訳なさそうに目を逸らしてて。なんかこっちが申し訳なくなっちゃいましたよね。 [和田十四朗 七十六歳]  あぁ?聞こえねえよ。・・・あー、なに、Oさんのことかね。まあ知らん仲じゃないよそりゃあ、斜向かいだからね。そんでも、取り立てて付き合いがあるわけじゃねえから、話せることなんてそんなに無いね。あの夫婦が越してきてどれくらいになるか?そんなもんあちらさんに直接聞きゃいいだろうがよ。俺は年だからむかぁしのことは覚えててもここ三年のことはてっきりだね。そのうちあんたらのお世話になるだろうから、徘徊かなんかでさ。顔覚えておいてよ。ふん。まあ、逆を言えばだいたい三年以内のことなんじゃねえのかな。知らねえけど。あんまりアテにすんなよ。  それ以外?ねえよなんも。あ?・・・まあ、人当たりは良いんじゃねえかね。敵を作るような感じではないよな。まあちょっと不思議な雰囲気の人じゃ、あると思うがね。そんでもほら、家ん中ってのはもう全然違うところだろ。外面なんて、アテにならんね。覚えといた方がいい。   [神戸丈子 五十一歳]  え?Oさんよね?ええ、付き合いはあります。Oさんの奥さんの方とはね。Oさんの旦那さんとは全然。奥さんとはスーパーでよく会ってたんです。まあ、主婦の買い物の時間なんて重なるものですから。仲が良いから会ってたんじゃなく、たまたま会うから仲が良くなっただけね。家も離れてるし。でもそういうのって大事なんですよ、そうやってね、輪が広がってくものなんです。遠山さんとか吉住さんとか・・・っていってもわかりませんよね、すいませんもう、こういうの慣れてなくて。  越してきたばかりのころは本当にもう、不安そうで。あの、そのよく会うスーパーに作荷台、あるんですけど、大きいガラス窓に沿えつけてあるんです。そこで荷造りもしないでね、ぼーっと、窓の外見てるんです。大丈夫かしらって声かけたのが最初です。そしたらそんな様子よりずっと明るい人で。すっかり仲良くなって、もう少し生活に慣れたらほかの奥さんたち誘って旅行でも行こうなんて話をしてたんです。  ・・・ところで、なにかあったんです?確かに最近見ませんけど。美容師さんも最近見ないって・・・ええ、綺麗な茶色の髪、地毛なんだそうなの。それで、若いからボブが似合うのよOさんの奥さん。あんまり上手に整えてもらってたから、通っている美容院教えてもらって、私もそこに通うようにしてるんです。 [大町幸典 四十二歳]  私があの家を作品の―――お見せした、マネキンを使ったやつです、ええ。そう、あれらの展示場所としてあの家を購入したのは、ほんの三ヶ月前のことですよ。だから私は、あの家やあの周囲でこれまでなにがあったのかなんて知りませんしだれがどういった人物なのかも知りません。もちろん、Oさんのことについてだってね。隣の家ですから、無関心ではいられませんよ。休日になれば、私の作品を見に来るお客さんに迷惑をかけられることもあろうかと、考えが及ばないでもありませんし。何かあったとき、できるだけ穏便に済ませたいじゃないですか。だから、付き合いは持っておくべきなんです・・・芸術家としての処世術ですよ。挨拶の品―――僕の故郷は千葉県の市川市で、梨が有名なんです。だから、梨を持って行ったんです。ああ、暑い日でしたよ。汗がだらだら出てね。  インターホン鳴らしたら出てきたのは、Oさんだけでした。あれ?って思いましたよ。表札には男女の名前があって、おまけにドアが開く寸前まで、誰かと受け答えをしているような、彼の声が聞こえていたんですからね。挨拶は、でも、別になんてこと無く終わりました。  だけどおかしいんですよね。僕はあの家で、展示品を少しずついじりながら生活していますけど、隣の奥さんを見たことがないんだ。声も聞いたことがない。はじめのうちは、何か困ったことに巻き込まれてもと思って、気づかない振りをしていましたよ、でも・・・。  ・・・挨拶に行ったとき、玄関から見えたOさんの家の中は一直線の暗い廊下が続いていて、まあ、警察の方だからご存じだとは思いますけど、どうも台所に続いているようなんですね。冷蔵庫が見えるんだ。ぼうっと、白く浮かんでるように見えるわけですよ。それがいやに印象に残っていて、僕は回覧板は必ず、直接渡すようにしていました。  ・・・あの、お巡りさん、結局、あれはなんだったのですか。ねえ、差し支えなければ知っておきたいんです。尋常でないものだっていうのは、僕にも分かりますよ。だから、通報したんです。だけどなんだかわからなかった。廊下の奥で庫内灯がぼうっとしてたんですよ。そこに陰があってね。  僕はね、お巡りさん。あれはこう見えたんですよ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!