第七話

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 それから演技レッスンと台本読みに明け暮れる日々が続き、やがてショーンの撮影初日がやって来た。  今回のドラマは伝統工芸の職人を目指すヒロインを描いたもので、名人である祖父に弟子入り志願する時に兄に厳しく反対される場面がある。そこで悩みながらも自分の夢を見つめ直し、熱意を訴えて理解してもらい逆に応援されるようになるという展開なのだが、ショーンが演じるアメリカ人留学生はヒロインの決断に大きく関係する役どころなため、短期間の登場とはいえ出番は多かった。 「楽屋で待ってるね」  準備を整えてスタジオに向かうショーンを、由莉が手を振って見送る。取材で来ているとはいえ、由莉が顔を出せばまわりに余計な気を遣わせるからと、遠慮して中に入らないことにした。楽屋にいてもモニターで様子を見ることは出来る。 「ショーン、ちょっと待って」  二、三歩進みかけたところで、背後から由莉の声が追いかけて来た。 「顔色、悪過ぎ」  心配そうにのぞき込まれ、ショーンは青い顔で口元に手を当てた。 「……吐きそう」 「ちょっと楽屋に戻ろう」  由莉はショーンの背中を押して楽屋にUターンさせた。ドアを閉め、向かい合って視線を合わせる。 「背筋伸ばして息吐いて。もっと吐き切って、そしたらお腹使って大きく息吸って……はい止めて。七秒で吐くよ。一、二、三……」  ショーンは言われた通りに呼吸する。小さいころにも、リラックスするための呼吸法だと言われて由莉にやらされた覚えがある。 「次は十秒で吐いてみよう。ゆっくり、ゆっくりね。次は十二秒かけて」  何度か繰り返すうち、ショーンはこわばっていた体が緩むのを感じた。 「大丈夫?」  由莉は穏やかに微笑んでいる。 「うん、楽になった」  胸に灯りが点ったようにあたたかい気持ちになり、ショーンは口元をほころばせた。 「ありがとう、由莉さん」 「山口さん先にスタジオ入っちゃったからね、特別サービスよ」  いたずらっぽく言いながら由莉がドアを開けると、そこに高宮奏が立っていた。 「びっくりした!」  声を上げた由莉を見て、奏は可笑しそうに目を細めて入って来た。 「死にそうな顔が見えたから様子見に来たんだけど、大丈夫そうだな」  笑顔で言われているのに、なんだか威圧されているような気がして、それでもショーンは口角を上げ笑顔を返した。 「ご心配おかけしました」 「由莉にキスでもしてもらった?」  ショーンは耳を疑った。思わず真顔になって奏の目を見ると、一瞬冷たく光った気がして言葉を失う。 「他人聞(ひとぎ)きの悪い冗談はやめて」  由莉は奏を叩くふりをしたが、表情はこわばっていた。 「それでショーンが落ち着くなら、目をつぶってやるよ」  奏は冗談めかして言いながら、由莉の頭を子供をなだめるように撫でた。 「三回までだな」 「もう、馬鹿なことばっかり」  笑って奏の手を払いのけた由莉は、廊下に逃れてドアを大きく開けた。 「時間だから、二人とも早く行って」 「はいはい」  一見、仲の良い夫婦のじゃれ合いのようだが、どことなくぎくしゃくした噛み合わなさを感じる。ショーンは目を伏せ、何も気付いていないような無表情で、奏の背後に続いて楽屋を出た。 「由莉、今日は終わりまでいる?」  奏に尋ねられた由莉がうなずく。 「じゃあ一緒に帰ろう」  由莉は嬉しそうに笑って、もう一度うなずいた。
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