第十話

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 東京へ帰る新幹線は、山口が普通の指定席で、ショーンと由莉にはグリーン車が予約されていた。 「寒い?」  ひざ掛けを広げた由莉に、窓側の席のショーンが尋ねる。 「ううん」  由莉はいたずらっぽい顔でショーンの手を握り、ひざ掛けの下に引っぱりこんだ。 「こうやって、手つないでても見えないように隠すの」  ショーンは頬を染めて嬉しそうに笑い、ぎゅっと由莉の手を握り返した。 「どうしよう、今すごくキスしたい」 「ダメ」 「ちょっとだけ」 「がまんして」  口をとがらせたショーンは窓の外をチラッと見て声を上げた。 「あ、あれ何?」 「え?」  思わず顔を向けた由莉の唇にショーンが素早くキスして離れた。  子どもじみた策略にまんまと引っかかった恥ずかしさと、ショーンの真っ直ぐな想いを感じて、由莉はがらにもなく頬を赤らめた。 「誰かに見られたらどうするの……」  グリーン車には他に何人か乗っていたが、席は離れている。それでも人の目なんて、いつどこにひそんでいるかわからないものだ。 「ほんの一瞬だから大丈夫だよ」  ショーンはひざ掛けに隠れた手の指を開き、由莉の華奢な指とからめて握り直す。いわゆる恋人つなぎの形となり、手のひら同士がぴったりくっついて、お互いの体温をじんわり感じる。 「ドラマの放送が終わるまで待ってて」  由莉はショーンにささやいた。 「ちゃんとするから」  この小説ドラマは奏にとっては長年の目標であり、ショーンにとっては俳優デビューとなる大切な作品だ。由莉としても、出来るだけヒットして成功をおさめてもらいたい。  だから、放送が無事終了するまでは「高宮由莉」でいようと決めた。ショーンとの関係を進めるつもりもない。   今は互いの想いを感じながら、こうして手をつないでいるだけで幸せだった。  もし奏との結婚を終わらせないままショーンと一線を越えてしまったら、この幸せな気分は消えるだろうと由莉は思う。違うと否定しても、夫の浮気への仕返しのように思われて、宝物のようなショーンとの関係が(けが)れてしまう気がするのだ。 「今まで希望もないまま何年待ったと思ってるの? あと少しで一緒にいられるようになるなら、半年でも一年でもおとなしく待つよ」  由莉を見つめて答えるショーンは、かつて見たことがないほど穏やかな表情をしていた。 「本当に私でいいの? 後悔しない?」  ただでさえ五つも年上なのに離婚歴のバツがついてしまうと思うと、由莉は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だから、そんな陳腐(ちんぷ)なことなど本当は言いたくないのに、つい確認してしまう。 「絶対しない」  ショーンは即答した。 「俺にとって特別なのは由莉だけだから。好きになるのも大切なのも、欲しくて堪らないのも、失いたくないのも、一緒に生きていきたいのも全部、由莉だけ」  よどみなく言い切って、にっこり笑う。  純粋できれいで、一点の曇りもないその想いに、どうやって応えるのが正解なのか、もっとよく考えなければいけないと由莉は思った。 「ありがとう、ショーン」  今はまだ、愛の言葉を口にする資格はない。  由莉はからめた指先にきゅっと力をこめ、ショーンの美しい瞳を、万感の想いで見つめ続けた。
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