第8話

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 しまった。くだらない話で脱線したと気付いた俺はドラマに話題を戻した。 「そういえば、在宅業務って経験あるか?」 「ありますよ。でも、ほんの数件でしたし、ドラマほどの重い症状の人のところを回っていたわけじゃないです。薬が重くて運ぶのが大変だから依頼されていたんじゃないかなって思うくらいの人もいるぐらいでしたし」  本来は薬の管理と服薬支援が薬剤師による在宅業務の目的だが、患者さんには運送屋さんとしての役割しか求められていないということだ。それが現実。 「うちの場合は医者が訪問した後に処方箋が薬局へFAXされてきて、それを調剤してお届けするって形でした。ドラマみたいに医者が訪問しているところに薬剤師が同行するなんてのは、滅多にないケースだと思いますよ。しかも医者の隣でアンプルから薬吸い出すとか、あれは完全に看護師の仕事だし」 「いやでも、看護師を連れていかないってのはあの医者流の経費節約術なのかもしれないぞ」 「え?」  彼女が怪訝そうな顔をしたから、俺は説明してやった。 「だって、自分とこの看護師を連れて行くとその分の給料が発生するだろ。でも薬局ならどれだけ働かせても、先生の懐は痛まない」 「えー、そんな理由で同行すんのヤダ」 「それでもまぁ、身体処置のできない薬剤師じゃ、現場で役に立たないのは目に見えてるけどな。あれで褥瘡見つかっても、薬剤師じゃ処置できないから、医者が自分でやることになるだろ? 麻薬でカチカチになった便を指でかき出すような処置も全て医者っていうと、時間と手間がかかって仕方ない」 「薬剤師はその間、医者の背中を温かく見守るだけ……いらんわ、って言われるのがオチですよね」  実際に在宅診療を行う医師に同行する薬剤師の話を聞いても、仕事内容は『こういう薬出したいんだけど、在庫ある?』『それなら○○を置いてます』『じゃあ、書いとくよ。あとで届けてあげて』っていう会話をするくらいらしい。  そう。例え医師に同行しても薬剤師はその場に薬を持って来てないから、一度薬局へ取りに戻り、それから再訪問する必要がある。これは二度手間だ。 「私が携わった在宅業務で印象深かったのは、一人暮らしをしていたおばあちゃんのズボンの裾を縫ったことですかね」 「そんなことまでしたのか?!」 「仕事が終わった後でもう一度訪問して縫ったんですよ。どうしても気になって。ほら、ほつけてるのを踏んづけたら転ぶでしょ」 「……」 「裁縫なんて、ヘルパーさんは時間が無いからできないです。だからって私がやるのもおかしな話なのは分かってますよ。要求がエスカレートしたら結局応えきれなくなるだけだろうって理屈も分かります。でも……それじゃあ私は、あの時どうしたら良かったんですかね」  彼女はいつのまにやら真剣な目をして、薬の棚を見つめていた。 「あのおばあちゃんには、お薬の説明や管理より、側でこまごました身の回りの世話をしてくれる人が必要だったんですよ。生活保護で、タンス預金も無くて、身寄りが無くて、独り暮らしで、認知症まであって……ケアマネさんも施設への入所を勧めてましたけど、そんなところへは行きたくない、住み慣れた家を離れたくないって言い続けてて」  本人の意思と、介護する側の現実が一致しない。  説得するにも、本人に認知症があると話は平行線だ。  介護の現場ではこんなことしょっちゅうなのかもしれないし、いちいち引っ掛かっていたら仕事にならないだろう。でも彼女は薬剤師だから、そんな介護の常識にも慣れていなくて、つい手を貸してしまった。  その行為を咎めることはできるんだろうか。 「……」  知らぬ間に俺まで深い息を吐き出していた。 「……お前、真面目な話もするんだな」 「感想そこですか?」  俺の呟きに、彼女は可笑しそうに笑っていた。その笑顔が俺にはやたらと深いものに感じられたのだった。
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