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雨 客
そもそも雨は大の苦手である。
降るか降らないかといった、曇るか曇らまいかといった、そういう焦れったさの狭間にある光景を、夢之輔は好んだ。
姓は如月……平安の昔にさる公卿から岐れた一族の末裔であるらしいのだが、夢之輔本人は詳しくは聴かされてはいない。
便宜上、居候をしている藤本の姓を借り、藤本夢之輔……と名乗ることもあるが、藤本家とはなんら血縁はない。
ここ、華咲藩は、三塞の国といわれる。
……三辺を険しい山々が襲い、一辺を大河によって閉ざされている。川の向こう岸は幕領(幕府所有地、天領ともいった)で、公儀直参の旗本らの所領が多い。徳川家康の後期に架けられた大橋はとうに朽ちかけていて、補修が必要なのだが工事の予定はない。
いま、夢之輔は、その大河を臨む舟宿に居る。
藤本家の当主、藤本左京大夫の命を受け、城に忍び入った公儀隠密を追ってきたのだ。
藤本左京大夫は、華咲藩の筆頭中老である。大藩ならば城代家老と呼ぶべきだろうが、あいにく華咲藩は四万六千石の弱小大名にすぎない。
┅┅そのような小藩に、なにゆえ公儀の隠密が暗躍するのか、その理由を藤本左京大夫は夢之輔には明かしていない。しいて訊ねることも夢之輔にはできない。
なぜなら左京大夫は、夢之輔にとっては育ての父のような存在だからである。
十三歳のころ、この華咲藩領に流れついた少年が夢之輔である。
生年も不詳であるから、正確な年齢は実のところは分からない。
父母の顔も知らない。
物心ついた頃、すでに夢之輔は鞍馬山中の禅寺にいて、名は〈吽〉とだけ教え込まれて育った。経典を学ばされることなく、一通りの読み書きを教わったほかは、日がな一日、剣の鍛錬を強要された。
剣の師匠は土御門無明斎といった。
陰陽師系の符師である。神符師とも讃えられていた稀代の術者で、わざわざ山中に籠って夢之輔を鍛えたのには理由があった。
夜になると野十郎は女人に変じるからである。
……憑き物ではない、と無明斎は喝破したはずである。妖が憑いたものならば、それが至難の業であろうとも歳月を要そうとも取り除くことはできる。
『……これは天意と申すものであろうよ。ニ身同体のまま生きてゆくしかあるまい』
そのためには勁い心身と剣符師としての素養が必要であろう……と見抜いたからこそ、夢之輔に剣符師としての基礎を叩き込んだのだった。
剣符師の妙技は、剣の技に通じる。
符を描くその極意こそ、剣の極意そのものなのだ。
夢之輔は十一歳にしてその神妙を得た。
ところが、数年ののち、予期せぬ襲来があり、何者かの一群が禅寺を焼き払った。
このとき、無明斎は初めて〈如月夢之輔〉の本姓と諱を告げ、
『華咲藩の藤本屋敷へ逃れるべし』
と言い遺し賊の中へ一人で斬り込んだ。
師の生存のほどはいまだに不明のままであった。
どうやら、藤本左京大夫は無明斎のかつての弟子の一人であったらしく、夢之輔からざっと事情を聴いたあとで屋敷内のかつての厩跡に建てた茶室をかれの居住用に与えて暮すことを許した。
それから五年近くが経った。
藤本家には、路上に飢えて死ぬことをまぬかれた大恩がある。居候の身としては、左京大夫の命には逆らえないのだ。
「ゆめさんよ、こりゃあ、てえへんだぜ」
供の弥七が閉口顔でつぶやいた。
まだ三十路を越えてはいないようだが、江戸育ちの弥七は、国訛もなく、歳下の夢之輔のことを〈ゆめさん〉と気安く呼んでいる。江戸でなにやらいわくのある稼業に就いていたことがあるらしく、世古に長けた弥七のような者は使い勝手がいいのだろう、藤本家の中間頭として重宝されていた。
「……舟止めで、この宿にいる客は、幼子を含めて二十八人。この中から、隠密を見つけるなんて、とんでもないお役目だなあ」
溜め息混じりに弥七は告げる。
「上客は、奥の広間に五人。侍だが、うち三人は浪人だ……これがまたとんでもなく怪しいとくりゃあ、長雨が止むまでに探し出せるかどうか……」
とにかく弥七はよく喋る。
言葉を紡ぎ続けることで、いつものように事前に得た知識を整理しようとしているのであろう。
ところが。
ほとんど夢之輔は喋らない。寡黙というわけでもないが、目先の厄介事を抱えているからだった。
大広間での雑魚寝が、舟宿ではあたりまえで、街道筋の旅籠とは違うのだ。
夢之輔が俯いていると、はたと弥七が気づいて言った。
「あっ、ゆめさん、そのことなら心配はご無用ってもんだ。二畳の物置に寝かしてもらうことにしておいたからよ」
「や」
思わず夢之輔の頬に朱がのぼった。夜更ともなれば、夢之輔は夢之輔ではなくなってしまう┅┅そのことを知っている弥七をとくに選んで夢之輔の供にさせたのは、さすがに藤本左京大夫ならではの配慮というものであった。
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