窟の息吹

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窟の息吹

 ……洞窟の内側に()り出した岩に片耳をつけたまま、夢之輔は目を閉じている。  睡魔に誘われているのではない。  かれの耳朶(じだ)に伝わるのは、他人(ひと)の気配であった。  何者かの息の震えというものが、(かす)かな振動となって岩肌に染み入る水滴のごとく、あるいは、チッチッチッと羽を(こす)り合わせる虫の微かな動きに似た音を抽出していたのかもしれない。  なにを聴いているのか、小野寺次郎右衛門には(わか)らない。夢之輔は年下とはいえ、その立ち振る舞いも剣の(つか)い方も謎に包まれている。その深層を探りたいという思いと、畏敬の念を持続させるには、小野寺なりにある程度距離を置くことが肝要(かんよう)ともおもっている。  岩肌に空いた(あな)から水が流れ落ち、奥へ走っていた。  おそらくこの洞窟は地に平行して掘られたものではなく、緩やかに下方へ向かっていたようである。音も立てずに水が舞い落ちるさまは、小野寺の目には小さな小さな滝を連想させた。予想外の水量ののおかげで、喉の渇きを潤すこともできた。  横たえた少女の口に紐を噛ませ、小野寺はそこに水を注いだ。  十二、三歳……いやもう少し年嵩(としかさ)なのかもしれない。  薄闇のあかりにも目が慣れてきた頃合いに、少女がまとっていた衣に水が滲みて、素肌が浮かんで見えた。体型から察すれば、少女から女へと移行するその狭間(はざま)にいるようにもおもえる。  羽織を脱ぎ、少女の体を包んだ小野寺が、 「や!」 と、声をあげた。 「……ゆめさん、ここに焚き火のあとが┅┅」  横たえた女のすぐ傍らに、石を円に組んだ痕跡があった。円の中央に焼け残った木の破片が散在していた。  ちらりと夢之輔がみた。  焚き火というより、夢之輔にはなにかの儀式のあとのようにみえた。 「うっ」  少女が(うめ)いた。  小野寺が(くび)の後ろに腕を差し入れ、右手に握った干梅(ほしうめ)欠片(かけら)を唇に入れた。  されるがままに少女は()めた。  塩にはひとを正気に戻す作用がある。古代より悪障の(はら)いに用いられてきたのは、生命(いのち)の根源と関わっていることを先人(せんじん)たちは先天的に察していたのだろう。  ふいに頚をゆすった少女が、夢之輔を()た。 「ひぇい」  なにを叫んだのか、夢之輔にも小野寺にもわからない。 「おんて┅┅」  少女がうめいた。  夢之輔には、女が言いたいことが瞬時に理解できた。  〈怨敵(おんてき)〉、あるいは、〈御敵〉と言いたいのであろう。  かりにそうであるならば、明らかに、この少女には仲間がいるはずであった。 「こ、これは┅┅」  言ったのは少女ではない。  小野寺である。  女が腰にたばさんでいた(つば)のない短刀を引き抜いた。  たしかに、夢之輔にも見覚えがあった。  小野寺がいった。 「┅┅弥七(やしち)どのの得物(えもの)ではありますまいか」  得物とは、武器のことである。  弥七愛用の短刀を身につけているこの少女は一体何者なのか……頚に回していた小野寺の腕が震えた。  ふいに、夢之輔が口を開いた。 「あなたは、柊楓(ひいらぎ)という忍びの仲間なのか?」 「・・・・・・・」  少女はなにも答えない。けれど夢之輔は立て続けにたずねた。 「……この短刀を持っていた(しち)どのは……今いずこに?」 「・・・・・・・」  少女は何も発しない。  だがそのとき、小野寺はたしかに()た。少女の双眸(ひとみ)が水をたたえたように潤んだのを。  まるで少女の双眸(ひとみ)の奥から水が湧き出るかのように、きらきらと妖しい光を()ねている┅┅。
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