対 面

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対 面

 夢之輔の剣の腕前のほどは、弥七(やしち)にはよくは(わか)らない。  一度だけ藤本家の家宰(かさい)、奥山佐兵衛が夢之輔に稽古をつけていた姿を弥七は見かけたことがある。  佐兵衛が(つか)う流派は、奥山一刀流。  流祖は、曽祖父にあたる奥山休賀斎(きゅうがさい)。  奥山新陰流(しんかげりゅう)ともいった。  このとき、夢之輔は、抜き放った太刀を、おのが唇に添えるように真一文字に構えた。なにやら呪文を唱えるごとく、ぶつぶつと肉厚のない唇を微かに動かし続けていた。  対する佐兵衛は、(つか)に右手を添えることなく、左掌を(つば)にかけ、微塵も動かなかった。  ┅┅結局、佐兵衛は刀を抜くことなく、ゆるゆるとおのが放した殺気を納めた。弥七にしてみれば、一体どちらが勝ったのか、いまだに不可解なままである。  宿の奥の広間にいる五人の侍のうち、二名は(れっき)とした武士で、一人は山を挟んで隣接する鹿野(かや)藩の青年で、出府(しゅっぷ)途上であるらしい。  ちなみに、江戸のことを、御府内(ごふない)というのは、幕府の〈府〉の()いであって、ここから、江戸に向かうことを〈出府〉と呼ぶ慣わしができあがっていった。  この鹿野藩士は、斉藤(さいとう)勘蔵(かんぞう)と名乗った。  もう一人の武士は、前川仙三。川向こうの幕僚代官所の同心。御家人(ごけにん)である。  なにゆえ代官所の役人が国境(くにざかい)を越えてきたのか、怪しいといえばあやしいのだが、弥七は、 「┅┅前川の旦那は、もとは産まれで、嫁取りの挨拶に回っておられたらしい」 と、夢之輔に告げた。  もっとも弥七が怪しいと踏んでいた浪人らは、徒党を組んで旅している気配はなく、たまたま雨のために足留めを()らったようである。  名を(たず)ねても申し合わせているかのように、三人は答えない。  それはそうであろう、一方的に名を()くのは、非礼というものだ。斉藤と前川の両人が名乗ったのは、夢之輔が〈藤本〉の姓を告げたからであって、さらに、女将の玉江が 「若さま、若さま……」 を連発するものだから、この地に少なからず馴染みがある両人は、旧領主たる〈藤本〉一族に対しての敬意を表したにちがいなかった。  名乗ろうとはしない三人の浪人を責める気は、夢之輔にはさらさらない。  一人は、懐手(ふところで)にしたまま、あぐらをかいていた。腹のあたりが膨らんでいるところから察すると、おそらくは小型の鎖鎌(くさりがま)のようなものを携えているにちがいないと、夢之輔は察していた。  一人は、脇差(わきざし)()びず、長めの太刀を無造作に柱に立て掛けたまま、黙然として酒を飲んでいる。  ところが。  (すき)はない。  盃を口に運ぶなにげない所作(しょさ)そのものが、一連の楕円を描きながら太刀の束から離れない。 (できる!)  と、夢之輔の体躯(からだ)を緊張の糸針が貫いたような衝撃が走った。 (柳生(やぎゅう)新陰(しんかげ)流か┅┅)  夢之輔は師の無明斎から剣符師としての基礎を叩き込まれるとき、主な剣の流派の太刀筋(たちすじ)の修行にも励んだ、というべきか、流派の修得を強要された。その成果か相手が発する気をみてなんとなく太刀筋が読めるのだ。 (けれど、仕合(しあ)えば、どうなることか┅┅)  夢之輔は気を引き締めた。  かれの読みが正しければ、柳生新陰流の(つか)い手ならば、公儀隠密である可能性は高い。なんとなれば、柳生新陰流は、公儀御家(おいえ)流だからである。 (ひゃあ)  声なき声が、夢之輔の緊張の度を強めた。  すると、残りの一人……三人のなかでは最も若い浪人が膝を()ってにじり寄ってきた。ひょうきんにも、夢之輔にぴょこんと一礼をしてから、 「不躾(ぶしつけ)ながら、お頼みいたしたき()がございます」 と、言った。 「……藤本(うじ)と申されましたかな。そちら様の(すき)の無き立ち振舞いようを拝見いたし、若きながらさぞご剣名の高き御仁(ごじん)とお見受けいたしました。つきましては、助太刀(すけだち)をお頼みできないものかと存じまして┅┅」 「や!」   不意をくらって夢之輔は戸惑った。どうやらその浪人は、仇討(あだう)ち旅のようであった。  なんという厄介事かと思いながらも、自分とさほど(よわい)の違わないだろう相手の素性に、ことのほか夢之輔は興味をそそられた。   
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