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罵 事
二畳の物置に敷かれていたのは布団ではなく、舟人夫が着ていた作務衣の古着を積み重ねたもので、敷き布団の代用にと弥七が考えたのであろう。
夢之輔はどこでも眠れる。
たとえ石の上でも、大木の枝の狭間でも苦ではない。
いやむしろ。
夜通し寝ないでいられるとすれば、どれだけ嬉しいことか┅┅。
陽が落ち、夜が更けると、否が応でも睡魔に襲われる。それは本能でも生理でもない。
半ばそのことを強制されるのである。
この夜、夢之輔が毎夜のごとく、眠らされていたとき、物置の戸があいて、蝋燭台を片手に身を乗り出した者があった。
「ちょいと、あたしです……た、ま、え、です┅┅」
女将の玉江である。
燭台を壁の柱の吊り皿にのせ、夢之輔に覆い被さるように身を寄せた。
「わ、か、さ、ま……、お話があるのですよ、起きてください、源さんのことで、どうしても聴いていただきたいことがあるんです┅┅」
どうやら源吾を仇と狙う一連の騒動について、どうしても夢之輔の耳に入れておきたいことがあるらしい。
肩と腹に掌をあてて、玉江は夢之輔を揺り動かした。
「ちょいと、た、たいへんなことが……、わ、か、さ、まっ」
すると、音もなく夢之輔はするりと立ち上がった。
「誰じゃ!わらわを呼び起こす者は!」
「ひゃあ、わ、か、さ……」
玉江は腰を抜かして夢之輔を見上げた。
かれの双眸にはきらきらと妖しげな光の素が宿っていた。
「そなたは、誰そ」
「ひゃあ、わ、か、さ、ま?」
「おお、わらわを存じおるか! そうじゃ、わらわこそ、若狭の木津根……」
「き、きつね?」
「ではない、木津根じゃ。昔、この者の生命を救ってやったことがおじゃる。その見返りに、深更から明け方までは、わらわがこのからだの主となる約定じゃ……して、そなた、いかな誓願を所望か?」
「は……?」
玉江は夢の名残りの只中にいる気分になって、おのが太股をつねった。痛覚はある。
も一度、こちらを見下ろす夢之輔を仰ぎ見た。
不思議と玉江は怖くはなかった。
夢之輔の切れ長の双眸は、針葉のように左右に細く、肉薄の唇はそのままに耳のあたりまで裂けあがって赤々と煌めいていた。ふたまわりほど、夢之輔の丈よりも長身になっているように玉江には見えた。
さらに。
胸は膨らんで、はちきれんほどに張り出している……乳輪のかたちまで透けて見てるように玉江の頭裡に刻み込まれた。
「あなた様は、若さまのからだに乗り遷って┅┅」
玉江が呟くと、木津根は裂けた口を開き気味に睨み返した。
「この者とわらわはニ身同体、夜はわらわのものじゃ」
ほんの少し、玉江にも情況が呑み込めてきた。
幽霊などではないようである。目の前で、二本足で立っているのだ。
「さあ、申してみよ、そなたの誓願を!」
「申さば、かなえられますのか?」
「わらわに何を差し出すかによる」
「忠誠┅┅では、駄目でございましょうか。源さんのいのちを助けてくださるのならば、生涯、あなた様に恩にきます。この若さまをお助け参らせます」
すると、木津根はちょこんと小首を傾げてから、こっくりと頷いた。
「ほう、忠誠とは……機転がきいた心憎いほどの言いようじゃの……まずは、申してみよ、聴いてやろうほどに」
その声に吊られるように、玉江は、源吾こと、佐々木源吾の過去を訥々と語り出した┅┅。
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