3人が本棚に入れています
本棚に追加
「白雪、油を売るな」
雇い主のたしなめる声に頷き、私はまた前を向いた。
こうして、私たちは陣営の最奥にある大きな天幕の前までやって来たのだった。
ここまで連れてきた雇い主はもういない。
お金を貰ったら、彼の仕事は終わりなのだ。
あとはただ、戦の終わり頃を見計らい、生き残った商品を迎えに来るだけ。
だから、目の前にそびえるその天幕の布を持ち上げたのは、他ならぬ私だった。
それはつまり、その人と初めに目を合わせたのも私だったということだ。
吸い込まれるような黒の瞳。
触れたくなるような黒の髪。
それらを併せ持った男は、ただ無感動に私たちを見ていた。
身体を売る女たちを、憐れむでもなく、舌なめずりするでもなく。
少しの蔑みと、多くの無感情を持った瞳で。
彼の端正な顔立ちは、一見女と見間違えるほどの繊細さと儚さを兼ね備えていた。
そして、その瞳と髪はどこまでもどこまでも深い漆黒だった。
まるで奈落の底にでもいるかのような。
まるで宇宙の無限に漂うみたいに。
彼の暗闇はどこまでも続いていたのだ。
これまで出会った客とは違う、どこか異様な空気を纏った彼に、玄人の女たちも不安を抱いているようだった。
彼は、そんな私たちの様子を鼻で笑う。
随分と冷めた様子だ。
「李麗だ。好きに呼ぶと良い」
彼はそれだけを言うと、天幕の一番端にいた女の腕を取り、口づけを交わし始めた。
そうしながらも、その瞳は私たち全員を値踏みするかのように一人一人に注がれていった。
それが、長い夜の始まりだった。
皮肉なことに、この時点で既に私たち女の身体は李麗の視線に熱く焦がされていた。
最初の夜、彼はほとんど全ての女を抱いた。
幾人もの女たちの喘ぎ声が、夜通し天幕内に響き渡った。
それは、甘美な夜と表現するにはあまりにも猛々しいものであった。
その中性的な容姿とは裏腹に、李麗は獰猛な男だった。
怯えた少女を掻き抱き、彼は少女の初めてを奪ったことに快感を得ている。
狡猾そうに歪んだ額に、汗をほんのりと滲ませながら。
幼い少女たちのすすり泣く声。
喜々として李麗を受け入れる女たちの恍惚な表情。
その全てが彼の癒しとなるというのだから、なんて残酷な世界なのだろう。
いつだってそうだ。
私たち娼婦を買う男たちは、皆癒しを求めていた。
明け方になると、彼らには戦が待っている。
毎朝、迎えてしまうその戦の為に、私たちは毎夜、生贄として彼らに捧げられるのだ。
それが一週間か、一か月か、はたまた数年かかる戦になるか。
そんなことは何だってよかった。
戦の期間など、些細な違いにしか過ぎない。
大事なことはたった二つだけ。
兵士たちには、"女"という欲望のはけ口が必要だということ。
そして、私がその"女"である限り、食いっぱぐれないということだ。
李麗が私たちに飽きたとしても、この陣営に男はまだまだ沢山いるのだ。
私たち"女"の身体を欲している男たちが。
あるいは、李麗の陣営が戦に負けたとしても、私たちには相手側の兵士がいる。
捕虜になり、酷い扱いを受けるかもしれないが、そんな覚悟は当に出来ている。
私たちはただ、相手が誰であれ、この身を捧げるだけだ。
若さと美貌を差し出し、生きていくだけなのだ。
「……っあぁ」
李麗はもれなく私の身体も突き刺した。
野蛮な夜は更けていく――。
最初のコメントを投稿しよう!