オーストラリア

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オーストラリア

 父が他界した後、私は自分の人生について自問自答を繰り返した。 その結果、意を決して、オーストラリアに1年間、ワーキングホリデービザで行くことにしたのだ。 まだ、その時は長期滞在するなら、こんなビザがありますよ! と旅行会社の人がおすすめしてくれる時代でした。 1年オープンチケットで、体調が悪くなったらすぐ帰ってくるから、 と家族を説得し、私は旅だったのです。 初めてのヒコーキ! 初めての海外! ワーキングホリデーと言っても、1年間滞在可能なビザの意味合いが強くって、働くことよりも一人で生きていけるかが問題で、遊学していたに近い。 しかし、やはり無情なもので1年海外生活をしたって、勉強しなきゃ英語なんか喋れるようにならない。 一人で生きてくことが主な目的の私にはそこまでの理解も努力も、それこそ勉強の仕方すら知らなかった。 さらに、考えてくださいな。 英語が碌にできない人が働ける場所とは? 日本人相手の「免税店」「日本食屋」やっぱり日本人相手が多いんですよ。 特殊な技術を持ってる人はまた別なんですけどね。 今なら、ITに強い、プログラムが書ける! ファームスティしたい! 美容師さん、などの技術のある方! は強いですよね。 でも、何にもない場合、そう健康すら怪しい私のような。  そんな私は帰国後、大手スーパーのアルバイトを始めたものの、1年間も外国にいて英語ができないってどーゆーこと? バカなの? 何してたの? って碌に喋れないことで、その頑張ったはずの1年間のことを口外できなくなってしまった。 その後、叔母がラジオ番組に姪が1年海外体験したのできっと面白い話になるだろうと、投書してそれが採用され、なんとラジオに出ることになったけれど、 そのパーソナリティのおじさんが意地悪な人(私にとって)で、碌に話も聞かないで、 「親の金で豪遊してきた我儘お嬢さん」 のレッテルを貼られて、心底ガッカリしました。 そうか、人の評価ってそうなるんか?と。
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