お嬢様なお祖母ちゃん

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 まぁ、お祖母ちゃんの人生もスゴイと思う。 自分の姉が嫁した先で、幼い息子を残して亡くなった。 そしたら、その息子(祖母とっては甥)が可哀想だと、義理の兄となる人のところへ後妻として行かされた。 随分、嫌だとゴネたらしいが、それはもう昔の話ですから、親の力は強いし、周りの目もある。 海老蔵さんの愛妻が亡くなった時に、愛妻のお姉さんが嫁に行けば、丸く収まるのでは? って最近でも思った人がいたのではないでしょうか? そうして、嫁に行って、5年かかって一人息子に恵まれて、 その5年後にその旦那さんは病死ですよ。 そう、29歳で後家さんになってしまった。 実家には両親もいたけれど、嫁に行った先に居残るようなパワーはなくて、 何しろお嬢さんだったので、息子が帰りたがったからと言う理由で、実家へ帰った。きっと、苦しむ母を見ていられなかったじゃないかと推測してしまう。 親が子を想う気持ちを否定するわけではないけれど、時として、子が親を想う気持ちの方が深いように想うことがあるから。 実家では働きに出ることなど、みっともない、と小さなお店を持たされた。 お祖母ちゃんは社会党が嫌いだった。 社会党が政権を取った時に、農地解放とやらで、嫁に行った先の田畑(山もあった)を全て、二束三文で手放すことになったからだ。 私としては、もうちょっと賢く、ズルくてもいいから、なんとかできなかったのかと、思った。 それは、父が昔に持っていた土地の地図を眺めてはため息をついたのを見たことがあったからだ。 義理の息子でもある甥(父にとっては兄、私たちにとっては叔父)が出兵しシベリア抑留となった時には、毎日のようにシベリアからの船を見に港へ行っていたそうだ。 それでも、それは甥には通じなかったらしい。 または、その義理の息子である甥はお祖母ちゃんが実家から補助をしてもらってお金をいっぱいもらって生活してる、財産を分けてもらってるとでも思っていたのかもしれない。 本当は何にももらってないのに。 昔のことだから長男が全部相続してたのに。 父が白血病で亡くなった後、その甥(私たちにとっては叔父さん)一家が相続について裁判を起こした。 私たちが住んでる家はお祖母ちゃんの兄が妹のために購入しおり、長屋3軒分が甥とお祖母ちゃんに残されていたのだ。 ところが、その私たちの家がある土地の半分が彼の名義であったからだ。 裁判はお祖母ちゃんの兄(実家)と行われ、多少の財産を得たらしい。 しかしだ。 なぜ、私たちが解決金を払わなければならないのか、理解できなかった。 私たちは一家の大黒柱である父を亡くして、どうやってこれから生活したらいいんだろうと残された女たちで途方にくれている中、何度となく家庭裁判所へ足を運んだ。その結果、解決金という名目の少なくないお金を、父が家族に残してくれたお金から毟り取っていった。 あの時ほど、悔しかったことはない。 なんで、こんなことができるのだろうか、と。 今でも、なんであんなことしたのか、 私達は忘れてないよ。 どこに住んでいるのかも、 何してるのかも知らない 従兄妹より、濃い血のはずの けんちゃん こうちゃん 今になれば、私も年をとったので少し理解できるようになった。 もし、お祖母ちゃんが婚家で頑張っていれば、財産が残っていたかもしれないから。 でも、もう、父も祖母もその叔父もその叔父のキツイ叔母も泉下である。 お祖母ちゃんにとって大事な大事な一人息子は、お祖母ちゃんを残してあっと言う間にあちらへ旅だった。 母にとってみれば、夫と暮らすより、30年も長く姑と暮らすことになったのだ。 そうして、生きがいを亡くしたお祖母ちゃんは痴呆になった。 お祖母ちゃんはお餅が好きだった。 お正月用についたお餅を入れ歯を入れるのを忘れて、食べたのだ。 そして、喉に詰めてしまった。 しかし、家族が気づき、救急車で病院へ運ばれるが 意識は戻らないまま、何日間か過ごしたあと、父の元へ行った。 諸々の手続きのため、母に言われて郵便局へ祖母名義の保険金を受け取りに行った。 世知辛いが、お葬式を出すにもお金がいるのだ。 もともとお祖母ちゃんはぽっくり逝きたい、と元気な時にぽっくり寺を回っていたような人だ。また、昔の人らしく、周りに迷惑をかけたくない人でもあった。 保険金を受け取って、びっくりした! 聞かされていた受け取るはずの金額が倍になっていたからだ。 餅を喉に詰めての死は、事故死なので、金額が倍になったのだ。 お祖母ちゃんを亡くして悲しいのだが、 『さすが、お祖母ちゃんだ! お葬式代をちゃんと出しはった』と思った。 少し時を戻して、 入院中、意識の戻らないお祖母ちゃん。 すでにいつ病院から連絡がきてもおかしくない。 お祖母ちゃんが A日に亡くなると、そのまま葬儀場へ送られ、 B日に亡くなると、一旦家に帰ってきてお通夜となる。 妹と私は二人して、確信していた。 「お祖母ちゃんは絶対家に帰ってくる! 我儘なお嬢さんやからな」 「せやな、私もそう思う!」 その思いの通り、お祖母ちゃんはB日に亡くなり、お通夜となった。 全ての法事が済んだあと、飼っていた犬がお祖母ちゃんのいた2階へ向かって何度か吠えた。 そして、お祖母ちゃんが歩くずり足の音がした。 「お祖母ちゃん、おるな」 「せやな、いてるな」 妹とそんな話をした。 いつまで、いたのかはわからない。 お祖母ちゃんの部屋はその後に生まれた甥の部屋となり、お祖母ちゃんのいた気配はもうない。
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