第2ボタンのない絵

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 ずっと好きだった人がいる。  声が枯れるくらいに、君に好きと言えたら良かった。  もっと早く言っていれば変わった何かがあったかもしれない。  アルバムの寄せ書きを埋め、埋まり、埋めて、埋まる。スマホのカメラがあちこちでシャッターを切る。切り取る時間は一番多いのに、流れるのは一番少ないこの日に、数式の羅列も英文も詩の一節も化学式もなりを潜め、ぐちゃぐちゃになるまで落書きされた黒板を映写板に、次々と時が切り取られる。  その一部には、俺がいて、あいつがいる。  背中ばかり見ていたあいつが、隣にいるのが当たり前になっていたあいつが、ほんの1年しか関わっていないのにその何倍も濃い時間を過ごしたあいつが、笑っている。 ――この黒板みたいに綺麗で絡まった想いのまま切り取ってしまおうか。  パシャリ。  集合写真だって、もう何回目だろう。文化祭の打ち上げだって来なかった奴も楽し気に卒業証書片手にピースサインを向けている。  迷っているうちに、めいめいに人が減り、教室は閑散とし始めた。クラスの打ち上げや部活の打ち上げ、友人同士のお別れ会に、それからそれから。  儀式の後の時間は、終わらせないための余韻だった。  その余韻の中に、教室にはもう俺とあいつの2人だけ。  黒板は、誰が消すのか、「いつもの」当番ももう帰って、粉だらけのチョーク受けが寂しげだった。俺もあいつも、多分消さないだろう。書く事は、あっても。 「――終わりだな」 「……うん」 「なあ、これ見てくれよ」 「……っ!お、お前、それ」  あいつが誇らしげに見せたのは、ボタンの欠けた学生服だった。歯が抜け始めた幼児みたいに不揃いな制服の金色は、上から二番目が欠け落ちている。 ――第2ボタン。  我ながら、ありきたりだな、と思う。  でも、そんなありきたりを考えてる奴が他にもいたなんて。 「相沢がさ、くれって。なんか、照れるよな……。あげたら嬉しそうにして宮原たちと帰ってったけど………ちょっと残念だな」 「相沢か……珍しく化粧してたな」 「へぇ、そうだったのか?つか、よく見てんな」 「まあ、な……」 「まさかお前、相沢の事……」 「ち、違うって、違う違う。そうじゃ……ないんだ」 「そうか」  そうじゃ、なくて。  相沢じゃ、なくて、 「……なあ、俺にもボタン、くれないか?」 「お前もかぁ?まっ、いいけどさ。どこでもいいよな?」 「いや――選んでいいか?」 「ん?まあいいけど」  正直第2ボタン以外の意味なんて分からないし、第二ボタンの正確な意味だって怪しい。  でも、この気持ちを伝えるのに、俺が思いついた方法が、これだったから。  ほかに何も出来なかった不器用な俺だけど、でもせめて後悔しないようにって。 「…………………………………………………………………………………………第2、ボタン」 「え、おま、もうないって……っていうか、第2?」 「……っ」  こくん、と頷く事しか出来なかった。  朱が差した頬に、あいつはなんと思うのだろう。なんと言うのだろう。  この気持ちに、気づいてくれるだろうか。 「…………」  数分の、沈黙が続いた。  目を瞑ってしまっていたから、閉じた瞼を押しのけて涙が流れてくるのをこらえるのに必死で時間の感覚なんてほとんど残っていなかったけれど。  カツカツ、というチョークの音が聞こえたから、薄く目を開けてみると、あいつが慣れない手つきで何かを書いている姿が見えた。はじめは背中だけ、頭も見えて、全身が映る。その瞬間に、目があった。 「……ほら、これ」 「……っ」  そこには、不格好な制服を着た歪だけどどこか可愛らしい男子高校生が描かれていて――。制服の第2ボタンのところを黒板消しでなぞったあいつは、第二ボタンがあった場所に手を添わせた後、その手で俺の右手を握った。 「第2ボタン。やるよ。俺の」 「……!!」  そこには、第2ボタンはなくて、ボタンすらなくて。ただ、ちょっとのチョークの粉と暖かさが、乗っていた。 「……いい、の?」 「……あげた、ろ」  第2ボタンなんて、どこにもなくて。  貰ったものも、なにもなかった。  いや、それよりも大事なものを――俺は貰ったのかもしれない。  この、「いつも」が終わる日に、俺は――「いつも」の関係を、どこか別のところへ進めることができたのかもしれなかった。  この黒板を消す誰かは、第二ボタンのない男子高校生の絵に、何を思うだろう?  俺は、その絵を見て――笑った。
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