あと5分を永遠に

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 全身をわっと覆った光の粒が蛍のように飛び回り、自分の上に今まで見たことのない絵を描いていくのを、娘は輝くような目で見つめていた。  すりきれた粗末な服は、濃紺の地に銀糸で細かな刺繍を施した、月夜のようなドレスに変わる。ばさばさだった髪は光の中で綺麗に結い上げられ、銀の髪飾りがそれを彩る。だんだんと散開していく光の粒のひとつを手に受け止めると、その一粒は一瞬光を強めたかと思うと、紫の石がはまった見事な指輪になって、娘の手にとどまった。  光の粒の乱舞がおさまり、そのすべてが消えると、娘は待ちかねたようにすぐそばの泉に駆けよって、自分の姿を確かめた。そこには、どこから見ても申し分のない、美しい姫君がいた。光の粒がなくなってもなお、自分自身が光を放っているような――そんな錯覚にとらわれて、娘は思わず陶酔のため息を漏らす。 「どう、お嬢さん。気に入りました?」  先端が輝く小さなタクトを手に、魔法使いがほほ笑む。満足げな笑みだ。自身の仕事の出来栄えに自信を持っている証だろう。 「ええ」  娘は頷いた。もちろん、娘も満足だった。 「本当に素敵。いつもの自分が、灰かぶり(シンデレラ)と呼ばれているなんて信じられない……」 「ほほほ、そうでしょう。さあ、遅れてはならないわ。王子様はお妃探しのために、国中の娘を舞踏会に招待なされたのだから。ガラスの靴を履いて、かぼちゃの馬車に乗って、早くその美しさをご披露しにお行きなさい」  魔法使いは恭しく、お姫様になった娘の手を取る。娘はにっこりと頷き、ドレスの端を優雅につまんで、馬車までの数歩を歩いた。扉の前には御者が待っていて、娘が近づくとこれまた恭しく腰をかがめる。 「では、行ってきます」 「ええ、行ってらっしゃい。あ、そうそう言い忘れていたわ、この魔法には時間の制約があるから気を付けて」 「え?」  御者の手に今まさに自分の手を預けようとしていた、娘の動きが止まる。 「時間の制約?」 「ええ。12時の鐘が鳴り終わるまでになっています。だから気を付けなさい。魔法が解けるまでに戻ってこなければ、あなたは元の姿に――」  言葉の最後に、娘の言葉がかぶさった。 「あと5分」 「え?」  魔法使いは面食らった様子で聞き返す。娘はかまわず、魔法使いの目をまっすぐに見た。 「もうあと5分だけ、何とかならないかしら」 「え、ええー……」  娘から逃れるように、魔法使いが目を泳がせる。 「できなくはないけれど、なんとかって言われても、でも……」 「だってほら、魔法使いさん。見てごらんなさいよ、あなたが仕上げた、この美しい姿を」  娘は優雅にくるりと回ってみせると、魔法使いの手を両手で包み込んだ。 「ねえ、私、少しでも長くこの姿でいて、あなたのことを自慢したいわ。『素敵でしょう? センスいいでしょう? これを選んでくれた人も素敵でしょう?』って、皆さんに言いたいの。もちろん王子様にもよ。ねえ? あなたはきっと賞賛されるわ。社交界の皆さんがみんな目を輝かせて、あなたを紹介してほしいって言うわ。ねえ、そうでしょう? そうなったらいいと思わない? だから、お願い」 「う、うーん、そうねぇ。私はその、12時まででも十分だと思ったのだけれども、そういうことなら……じゃあ、少しだけ延長を」  魔法使いのタクトから小さな光が飛ぶ。娘の姿が一瞬きらっと光った。 「さあ、これでいいでしょう? じゃあ、今すぐお城へ――」  魔法使いは口をつぐんだ。娘の両の手が、彼女の手をさらにぐっと握りしめたからだ。 「ねえ、待って、魔法使いさん。もう5分追加できないかしら?」 「え」 「だって、こんな美しい姿だったら、魔法使いさん。美しいものに目がないと噂の王子様のこと、私はきっと間違いなく、王子様のお目に留まるわ。そうしたら、王子様は私にお言葉を下さるはずだし、きっとお話が盛り上がるわ。でも、12時5分まででは時間が足りなくて、お話を切り上げなくてはならなくなるかもしれない。そんな失礼をしたら、どうなるかしら。魔法使いさんのせっかくの功績が、時間制限のせいで台無しになってしまうかもしれないわ」 「そ、そうね……確かに、もったいないわね。じゃあ、もう5分――さあ、これでいいでしょう?」  魔法使いは娘を急き立てる。娘はおとなしくそれに従い、今度こそ御者に手を取らせたが――しかし、そこでもう一度魔法使いを振り返った。 「ねぇ、魔法使いさん、やっぱりもうちょっと延長できない?」 「え、ええっ? さすがに、いくらなんでもこれ以上は、私の魔力が……」 「ねぇ、お願い。だってだって、この姿はいわばあなたの芸術品よ。王子様に、あなたの芸術作品たる私の姿をもっと見ていていただきたいとは思わない? それに、それによ、もし私が王子様に気に入っていただけて、お話が盛り上がったら、王子様はきっと、私の装いについてお尋ねになるわ。そうしたら私は言うわ、『実は、すばらしい力をお持ちの魔法使いさまがいて、その方が力を貸してくださったんです。彼女はこの国の財産です。きっと、これからも、この国に貢献してくれるはずです』って。そうなったら、どうかしら? 王子様は、きっとあなたを宮廷魔法使いに取り立ててくださるわ。あなたはすばらしい出世を遂げるのよ。そうでしょう?」 「……う、ううん……」  娘は逡巡する魔法使いをのぞきこむ。孫がおばあちゃんに甘えるみたいな、とろけるような笑顔で。 「ねぇ? お願い。あと5分。いいえ、できれば30分……もっといけるなら1時間」 「――ああー、もう! わかった! わかりました!」  魔法使いは娘をかぼちゃの馬車に押し込み、その横に自分も乗り込んだ。 「私も一緒に行きます! さあとにかく、舞踏会に急ぎましょう!」 **  娘は、それっきり生家に戻ることはなかった。魔法の無期限延長を勝ち取って、そのまま王子に嫁いだからだ。  王子と妃の側には、常に魔法使いが控えている。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加