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つゆ2
放課後の中庭で、和美は私の話を聞いて大笑いした。周りの視線をじわじわ感じるようになってきて、やっとのことで笑うのを止めると、彼女は「あんまり笑わせないでよ」と言った。
「じゃあ、本当はどういう話なの?」
「別に、いいんじゃない、容子の感性であの話をとらえれば。試しにテストに、今みたいな答え書いてみてよ」
「やだよそんなの」と言う私に、和美は「今度ノート見せるわ」と言った。
「今日はピアノのレッスンの日じゃなかったっけ?」
「先生が急に体調崩しちゃって、なくなったの」
普段より長くいられることがわかったので、ジュースを買いに行くことにした。
「放課後の学校っていいよね。私、毎日何のために頑張ってるんだろう……」
和美は珍しくコーラを飲んでいた。
「私もわからないよ。今でも十分うまいのに、これ以上どこをどう上達させるつもりなのか」
そんなもんじゃないよ、と彼女は笑って誤魔化した。
「私もどこまでいけるのかわかんないけどさ、今はとりあえずやる気があるから、やれるところまでやってみようって感じだよ」
「でも、みんなすごいよね。私からしたら、毎日部活やってる人も、バイトしてる人も、すごいなあと思う」
「蓉子はいつも何してるの?」
「何してるんだろう……通学も遠いと言えば遠いけど、家に帰って、普通に宿題したりテレビみたり、ちょっと本読んだりしてるだけで一日が過ぎていくよ。私はなんでこんなに活動してないのかが不思議だよ。同い年なのにね」
同い年という言葉から、同じく同い年のあの人のことが脳裏に浮かびかけたが、慌てて打ち消す。
しばらく雑談してから帰路へ向かうと、藍田君が、以前コナラの芽を見つけた場所から、校舎の三階あたりを見上げているのが目に入った。
同級生なのに「こんにちは」とかしこまったあいさつをするのも変だし「やあ」というのもなれなれしすぎる。何か声をかけてみようとは思うのだけど、どうしたものか考えていると、我々の気配を察したのか、すっとこちらを振り返る。
「何してるの?」
結局、これが一番自然だ。
「ピアノが聴こえるかもしれないと思って、ちょっと見てみたんだ。この間、君の友達が弾いていただろう」
「今日は無理だよ。友達、この子だから」
和美は表情を変えずに、首を軽く横に傾ける。藍田君は「ふうん」と素っ気ない返事をする。ピアノの音には興味があっても演奏者には興味がないのか、もしくは突然紹介されて面食らったのか。特に反応がなく、つまらない。
「音楽室を使えるのは吹奏楽部が練習しないときだけだから、めったにないの」
和美は物怖じせずに話し出す。
「それ以外の日はどこで練習するんだ?」
「休みの日には、公民館行ったりすることもあるよ。家にもグランドピアノはあるけど空間が狭すぎるから、やっぱ広いとこでも練習したいんだよね」
「ピアニストを目指しているんだろうか?」
藍田君がこういう質問をするのは珍しかった。もしや、和美に興味を持ったのだろうか。
「ピアニスト目指すんなら、音楽科のある高校へ行ってるよ。私は、ピアノは好きだしもっと練習したいけど、そこまではいけないんじゃないかな。音楽に関する仕事につきたいとは思ってるけど。
藍田君は、数学の研究者になるの?」
藍田君は一瞬表情が固まり、そして次の瞬間、笑い出した。
「全く、先生がぺらぺらと人の点数をばらすからこんな誤解が生まれるんだな。この学校の数学のテストは簡単すぎるだけだ。僕は授業を聞いて、あとちょっと通信教育の問題を解いているけれども、後は何もしていない」
じゃあ何が好きなの? と聞いていいものかどうか迷っていると、
「僕が興味があるのは、むしろ植物だよ。自然界のことに興味があるんだ」
珍しく私の思いが通じたようだ。
「それで登山部に入ってるの?」
私の質問には答えずに、彼は去って行った。
「和美、すごいね。初対面なのに、あのよくわからない人から、プライベートな情報を引き出すだなんて」
「そうなの? 私は単に普通に会話してただけだけど。それより、蓉子があの人と知り合いだったなんて知らなかったよ」
「ああ、私の隣の席の人と同じ部活らしくて、私のクラスによく来てるの」
「ふうん」
「前の学校って、どこだろう。そんなに勉強の難しい中学校にいたのかな? 私立とか?」
和美は、え? と言って、まじまじと私を見た。
「あの人、一年生の二学期に転校してきたんだよ」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「蓉子こそ、なんで知らないの? 高校で転校生なんて珍しいんだから、普通に生活してればそれくらいの情報入ってくるでしょう。もう少し周りのことに興味持とうよ」
転校してきたということは、以前はどこに住んでいたのだろうか。途中から入学するときにも受験は必要なのだろうか。どうせ聞いても教えてくれないだろうから、やがて考えるのをやめた。
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