どんぐりクッキー

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どんぐりクッキー

 昼休み、三宅君が席についているとき、藍田君がやってきた。 「今日、急用ができたから、休むわ」  それだけ言うと、去っていった。 「何の話?」 「部活の話だよ」 「三宅君も登山部なの?」 「そうだよ。知らなかった? でも藍田が登山部だってことは知ってたんだな」  そうは言いながらも、三宅君は部活についてほかにもいくつか教えてくれた。水曜部が定休日ということも知った。なるほど、それで藍田君は毎週水曜日に図書館に来ていたのだった。  「網野さんは何部なの?」 「私は、家庭科研究同好会だよ」 「へえ、あのいつも菓子焼いてるやつか。今度くれよ」  よく言われるセリフだけど、みんな、部費で買った材料はプライベートに使用してはいけないという規定を知らないからそんなことが言えるのだ。作ったものは参加した人で分配するので、その分を食べずにあげればいいのかもしれないけれども、お腹の空いた高校生は、大体きれいに平らげててしまう。仲のいい女の子に数枚分けてあげることはあっても、食欲旺盛な男子にあげたところで、オブラートでも食べた程度の満足感しかないことだろう。それでもいいと思えるほど三宅君に親しみの念は抱いていない。 「三宅君は何のお菓子が好きなの?」 「うーん、マシュマロとか?」 「そんなの作んないよ」 「じゃあなに作ってるんだよ?」  そんな話をしていると、再び藍田君がやってきた。 「藍田、網野さんが、今度お菓子作ってくれるんだって」  三宅君はそんな適当なことを言う。どこからそんな話になったのだろう。 「お前、何がいい?」  藍田君は首を傾げると、 「どんぐりクッキーがいいな。ここ、ズダジイもあるし」  珍しく、ちょっとうれしそうな顔をしてそう言うと、三宅君の机の上に現代文の教科書を置き、「スダジイってなに?」と聞き返す隙も与えず去って行った。 「あの人、しょっちゅう来るけどクラスに友達いないの?」  三宅君は、「同じクラスのやつはさすがに教科書貸してくれないだろう」と言いながら、 「まあ、あまりすぐ人と打ち解けるタイプではなさそうだからなあ」  とつぶやいた。言い終わらないうちにチャイムがなり、それ以上のことを訊くチャンスは失われた。  どんぐりクッキー、か。もしかして、この間のコナラのことを思い出してそんなこと言ったのだろうか。第一、どんぐりなんて食べられるのだろうか。今度また訊いてみようと思った。  今日のレシピは、柚子胡椒のクラッカーだった。ちなみに私は、柚子胡椒なるものが日本にあることを、今回初めて知った。そんな見知らぬ調味料を使ったお菓子を、果たして一回食べただけでおいしいと思えるものだろうかと半信半疑で参加したけど、結果は、やはり満足いくものだった。  作り方はいたってシンプルだ。小麦粉に、今回は砂糖は混ぜずに油だけ入れてさっとすりまぜて、そこに柚子胡椒を溶かした水を入れて、さっとまとめる。  小川先輩曰く、甘いクッキーよりも、塩気を楽しむクラッカーのほうが、難しいらしい。 「砂糖って、ある程度、何十グラムとか大量に入れるじゃない? だから、誤差が少ないの。それに比べて、塩はさ、小さじ何分の一とか、ごくわずかでしょう? そうすると、ほんの少し多かったり少なかったりしただけで、味気なくなったり、逆に辛すぎになったりしちゃうから、けっこう難しいんだわ。試しに家でやってみて。今日は私が計量したからそれなりにまあいい範囲に入ってるけど、慣れるまで、これがなかなか難しいんだよね」  焼いている間から、この調味料のおいしそうな香りが漂ってきていて、早く食べたくて仕方のない待ち時間だった。  保存食となった柚子は、あの生の、一瞬はっとするようなすがすがしい香りとは違ってきているけれど、これはこれで魅惑的だ。初めにこういう調味料を考えた人は、どうやって考えたのだろう。やはり小川先輩のような人が考えたのだろうか。 「これ、なんの料理に使うものなんですか?」 「さあ、うちでは料理には使わないから。この本で見て知って、試しに買ってみたの。鍋食べるときに使ったりするみたいだよ。あと、お肉焼くときにつけてもいいかもね」  これをお菓子に入れようと考えた人も、いいことを考えてくれたものだと思った。 「小川先輩、どんぐりのクッキーって作ったことあります?」 「どんぐり? さあ、ないけど」 「どうやって作ったらいいんですかね」 「まあ、普通に考えて、あく抜きしたり炒ったりして、粉にして、それをいつも作ってるクッキーみたいにさ、粉を九割、どんぐりの粉を一割、とか割合を加減して加えて、どの分量が一番おいしいか探っていけば、できるんじゃないの?   どんぐりの割合が少なかったら、普通のクッキーとどこが違うのってなっちゃうし。どんな食材なのか知らないけど、個性が強すぎるようだったら、あんまり入れすぎてもおいしいって思えないかもしれないよね。  まずは作って味見してみることだね」  先輩は、なにを見るでもなく、即座にそう答えた。  本当に頭のいい人というのはこういうものなのだなと思った。
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