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第一話 あなたはもういない ⑵
私は肩に背負っていた筒状のバッグからレジャーシートを取り出し、ブランコの柵の隣に広げる。彼はこれまで待ち合わせ通りに来たことがない。だけどそんなことで腹を立てたりはしない。きっと昨日も遅くまで仕事をしていたのだろう。もしかしたら日付をまたぐ頃までパソコンにかじり付いていて、束の間疲れを癒すために、どこかでビールでも飲んでから帰ったのかもしれない。私はその時間、サンドイッチに挟むハンバーグのソースを煮込んでいた。隣のIHヒーターにはホーローのミルクパンにリンゴのシナモン煮。これを腹に入れたらいかにも元気になりますよと主張してくる肉の香ばしさと、ウスターソースなどが醸し出す酸味、とろとろにとろけるリンゴと砂糖の甘みと、鼻をくすぐるシナモンの刺激が混ざり合った、魅惑的な香りに包まれた部屋で、私は彼に数時間後会えることに期待を膨らませながら眠りについたのだった。
私はバスケットを広げてお皿を出したり、料理の入った保存容器を並べた。はじめシートの上に直において、そういえば今日はテーブル代わりのボードを持ってきたのだった、と折り畳み式の板を広げる。ナプキンを上に敷くと、本当に古き良き時代の上流階級のピクニックのようになった。
サンドイッチはまだパンとおかずのままで、銘々好きなように具を挟んで食べる趣向だ。今日は別に記念日でもなんでもないけれど、彼とはたまにしか会えないのだから、無理のない範囲でなるべくスペシャルな演出をしたい。
ああ、あのいかにもせっかちそうな、というかいつものように遅刻したから、少しでも時間を稼ぐべく、慌てて坂を駆け上がってくる足音。私はそちらに顔を向けるべきか、気付かないふりをして準備をつづけるべきか迷う。口はうれしさでへんな風にゆがんでしまっている。そしてまたその事を指摘されてしまうんだ。「どれだけ僕のこと好きなの」って。
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