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第二話 私の記憶を消して ⑸
樹は、安楽椅子に座っている貴史の後ろ姿を見ながら、かえで自身忘れてしまっているはずの、最初の出会いのことを思い出していた。三年分を一時に観るのは難しいので、特に鮮明な記憶だけを抽出したものを、今彼は観ているはずだった。それはかえでの感情が特に激しく揺れ動いたものばかりで、彼にはきっと厳しいものになっているはずだった。
画面が暗転した後も、かなり長い間、貴史は立ち上がらなかった。その間、安楽椅子から僅かにのぞく頭は身じろぎもしていなかった。やっとブースから出てきた頃には、もう閉館時間になっていた。
「かえでの記憶を見ていて、思ったんです。僕も記憶を消した方がいいのかもしれないって」
「ほう、そうですか」
樹はちょっと髭を撫でた。これは少し驚いた時にする彼の癖だった。
「かえでが苦しんでいたことは分かりました。でも、僕も葛藤が無かったわけじゃない。かえでが僕を許せなかったのと同じです。だけど、僕は彼女がそういう選択をせざるを得なかったことを含めて、その記憶と一緒に生きていくべきだと思ったんです」
「それがあなたの責任の取り方、ということですね」
「ええ。まあ、三年分の仕事を忘れちゃうと、職場で無能になっちゃうってのも大きいですけどね。臆病なんですよ」
樹は貴史の涙袋が少し腫れていることを見逃さなかった。
「また、ご夫婦でいらしてください。今度は、貴文くんの映像を観に」
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